「鉄道の町」5選 石炭列車の拠点 車両工場 分岐駅 労働人口の25%が鉄道関係だった…
国鉄の大規模な機関庫や工場があった町は「鉄道の町」と呼ばれていました。蒸気機関車が主流だったころ、鉄道の運行には多くの人手が必要で、機関庫などの周辺に鉄道員が居住したためです。現在の「鉄道の町」5つを見てみました。
新津は労働人口の約4分の1が鉄道関係者だった
国鉄がまだ蒸気機関車を数多く走らせていたころ、日本各地に「鉄道の町」と呼ばれる地域がありました。
「鉄道の町」には蒸気機関車の運行に携わる人々が生活し、機関庫の周囲には多くの人が居を構えていました。その規模は小さな町に匹敵するほど大きく、たとえば新津機関区を擁していた新潟県新津市(現・新潟市秋葉区)は、労働人口の約4分の1が国鉄と関わりを持つ仕事に就いていたという記録があります。
「鉄道の町」には鉄道員のための社宅をはじめ、物資部と呼ばれるスーパーマーケットもあるなど、鉄道員とその家族だけでひとつの生活圏ができるほどでした。
国鉄は、岩見沢(北海道)、追分(北海道)、土崎(秋田県)、新津(新潟県)、大宮(埼玉県)、米原(滋賀県)、吹田(大阪府)、多度津(香川県)、米子(鳥取県)、津和野(島根県)、直方(福岡県)、鳥栖(佐賀県)の12か所を公式に「鉄道の町」としていました。
このほかにも山北(神奈川県)や横川(群馬県)、盛岡(岩手県)など、大規模な機関庫や輸送のあい路となった場所が「鉄道の町」と呼ばれることもあります。
これらの「鉄道の町」のうち、現在も街並みや施設からその名残を感じられる町を、筆者(児山 計:鉄道ライター)の独断で5つ選んでみました。
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