米軍「戦う航空管制員」CCTの奮闘 東日本大震災 津波受けた仙台空港を救援拠点にせよ

「戦闘管制員」とはアメリカ軍における役職のひとつで、戦闘地域での航空管制などを担当する隊員のことです。東日本大震災の際には仙台空港で、わずか6時間で空港機能を回復、輸送機を着陸させていました。その職務を追います。

東日本大震災 津波に襲われた仙台空港では…?

 2011(平成23)年3月11日、東北地方を中心に東日本の広範囲へ甚大な被害をもたらした東日本大震災。あれから8年以上の時が過ぎましたが、様々な復興の動きがいまだ途中であり、真の復興はまだ先です。

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2011年3月16日、仙台空港に着陸するアメリカ軍のMC-130H。5日前に発生した東日本大震災後、初めて同空港に着陸した固定翼機となった(画像:アメリカ国防総省)。

 東北最大の空港であり、航空旅客輸送、航空貨物輸送の拠点である仙台空港は、本来であれば広大な敷地、大型機も発着可能な滑走路を活用し、航空機による救助活動や支援物資輸送の拠点となるはずでした。しかし日本全国によく見られるような、海岸近くに位置する仙台空港は、津波に飲み込まれています。

 滑走路には瓦礫(がれき)が流れ込み、空港施設は機能停止。地震直後から運用再開の見通しは全くつかない状態でした。海水が引き始めた13日から、仙台空港では航空局職員による調査を開始。翌14日から、当初ヘリコプターの離着陸スペースを確保するため、少数の作業車輌でガレキなどの除去を開始しました。

【写真】東日本大震災2日後 津波の水が引かない仙台空港を上空から

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