旧陸軍 秘密兵器「空中機雷」の正体 「一〇〇式司偵」に搭載し戦果6機の本当のところ

一〇〇式司偵の地味だけど危険で重要な任務

 護衛無しに単機で敵地奥深く侵入する司偵の任務は危険で、そして何より生きて情報を持ち帰ることが必須でした。連合軍にしてみると、高高度を単機侵入してくる一〇〇式司偵はそもそも発見すること自体困難で、発見しても余裕をもって上空待機していない限り迎撃は不可能であり、ちょうど戦争末期、B-29を迎え撃った日本軍戦闘機部隊と同様の立場だったようです。

 また、連合軍から「ビルマの通り魔」「空の百合」「写真屋のジョー」「地獄の天使」などと呼ばれていたように、一〇〇式司偵が姿を見せるのは日本軍が何らかの行動を起こす前触れで、疫病神のように見られていたとも。

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前部操縦席風防と胴体が段差無しとなり、流麗な外見を見せる三型。

 しかし連合軍戦闘機の性能が向上してくると、一〇〇式司偵も段々、逃げ切ることが難しくなってきます。長距離を高速で飛ばなければならないため、重くかさばる武装も最小限に抑えられており、後席に自衛用の7.7mm旋回機銃が装備される場合もありましたが、性能が向上した連合軍の戦闘機相手には気休めにしかなりませんでした。

 そうしたなか、陸軍の高橋正巳技術少佐が「空中機雷」という新兵器を考案します。

 その正体はゴム風船。一〇〇式司偵の後席にゴム風船30個から40個をダンボール箱に入れて載せ、操縦席からの操作で風船をただ空中に散布するという簡単なものでした。日本アルプス上空で散布実験も行われていたようです。旋回機銃でも気休めにしかならないのに、ゴム風船でどうしようというのでしょうか。

【写真】激戦地 硫黄島で力尽きた一〇〇式司偵

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コメント

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1件のコメント

  1. 確か、第二次世界大戦中のイギリス空軍で対夜間爆撃機用に実際に空中機雷(名前:Long Aerial Mine)が開発されたような? 詳細は不明だが...