救難機かスパイ機かWW2ドイツ救難部隊の表裏 敵も助けた騎士道精神と捨てられた赤十字
救難機かスパイ機か 捨てられた赤十字 載せられた機関銃
ドイツはジュネーブ条約違反と抗議しますが、空中戦が苛烈となり実際に攻撃を受けるようになると、ゼーノートディーンストのHe59救難機は白色塗装を迷彩塗装に塗り直され、赤十字標章も塗りつぶされて黒十字(バルケンクロイツ)のドイツ軍標章が付けられ、そして自衛用の機銃も装備されるようになります。
「救助された敵のパイロットが再びイギリスに爆弾を落としに来ることは容認できなかった」と、イギリス首相チャーチルは当時の心境を記しています。騎士道精神と爆撃という行為は表裏一体でした。
バトルオブブリテンでは6機のHe59が失われていますが、救難活動が衰えることはありませんでした。また連合軍のあいだでも、ゼーノートディーンストを救難システムの参考にするようになります。
パイロットは海に放り出される遭難の不安を常に抱えています。救難体制を整えて必ず助けは来るとアピールすることは、パイロットの士気を維持するのに大切なことです。日本を空襲したB-29の経路上には、点々とアメリカの救難艇、潜水艦が配置されましたし、自衛隊が長距離飛行できるユニークな飛行艇US-2を保有しているのも、遭難パイロットを救難することが第一義です。
大戦期を通じてゼーノートディーンストは活動を続けています。最後の活躍が1945(昭和20)年3月に始まった、ポーランドのコルベルクからの民間人救出作戦でした。この作戦では水上機Do24に子供99人、大人14人を詰め込んだため、同機は重量過多で離昇できず、海面上を跳躍と滑走を行いつつ基地までたどり着いたという、映画になりそうなエピソードも残しています。
バトルオブブリテンに勝利した後、チャーチル首相が下院にてイギリス空軍を讃えて「人類の歴史のなかで、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」と、有名なスピーチを残していますが、この称賛はそのままゼーノートディーンストにも相応しいのではないかと思います。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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