致死率は10倍 WW1末期「スペインかぜ」クラスターに見舞われた旧海軍艦「矢矧」の教訓

第1次世界大戦の終盤から世界的に流行した、死に至る病「スペインかぜ」は、旧日本海軍の軍艦においても感染が広がりました。閉鎖された空間での感染爆発がいかに恐ろしいものであるか、その教訓をいまに伝えています。

軍艦「矢矧」のクラスターが現代に伝える教訓

 1918(大正7)年12月5日、「矢矧」はフィリピンのマニラへ到着しました。来艦者は、艦内の至るところに寝込んでうめいている多数の乗組員を目撃し驚いたそうです。12月9日には、スペインかぜに罹患し現地の病院へ収容されていた、艦のナンバー2である副長も死去しました。

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「矢矧」を艦尾から捉えた写真。艦尾に「ぎはや」と艦名が書かれている(画像:アメリカ海軍)。

「矢矧」の場合、軍艦として作戦行動中のため、安易に救難信号を出したり、予定を変えて寄港したりすることが難しい状況だったことが、クラスターの発生に影響していたかもしれません。また長期航海による乗組員へのストレスや疲労の影響も無視できないでしょう。

 なお、このスペインかぜの艦船内感染は「矢矧」に限ったことではなく、アメリカの兵員輸送船「リヴァイアサン」号でも起きていました。こちらは船内に輸送される兵士と乗組員合わせて1万1000名程度が乗り込んでいたそうですが、そのうち約2000名が発症し、下船後の死亡を含めて約200名が亡くなっています。

 この時代は、現代と比べて医療体制や栄養状態も悪かったでしょうが、それでも密閉空間での集団感染がいかに怖いものであるかを伝える教訓にはなります。改めて水際での感染阻止と、感染確認後の速やかな隔離、そして免疫力の向上が必要であるといえるのではないでしょうか。

【了】

【写真】まるで野戦病院のよう 公会堂まで病院に転用 スペインかぜ大流行時のアメリカ

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子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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