ソ連/ロシアの軍事パレードに見る「指導者の乗りもの」と現代にいたる自動車事情

ロシアの対独戦勝を記念するパレードは、騎乗し観閲していた時代から、同国指導者にとって年間行事でも最大の晴れ舞台です。やがて馬はオープンカーにとって代わりましたが、そこに同国の根深い悩みが見て取れます。

ソ連/ロシアの指導者にとって最大の晴れ舞台

 ロシアにとって最大の国家行事でもある「対独戦勝記念パレード」、75周年にあたる2020年は5月9日に予定されていましたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で6月24日に延期されました。この6月24日という日は、1945(昭和20)年に初めてモスクワで戦勝パレードが開かれた日にあたります。75周年という節目から、どうしても今年だけは開催したいというプーチン大統領の思惑が見えます。

 毎年、登場する戦車やミサイルは注目を集めますが、今回は観閲官(パレードの主催者)と観閲部隊指揮官の乗りものに注目してみます。

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颯爽と白馬「クーンミュ号」に乗って赤の広場に入場する観閲官ジューコフ元帥。

騎乗できず晴れ舞台をフイにしたスターリン

 ソ連がモスクワ赤の広場で1945年6月24日に実施した「対独戦勝記念パレード」は、大きな犠牲を払って勝利した国家の威信をかけた記念行事であり、その観閲官というのは最高指導者ヨシフ・スターリンの晴れ舞台になるはずでした。ところが当日、観閲官を務めたのはゲオルギー・ジューコフ元帥でした。

 なぜスターリンはその晴れ舞台を譲ったのでしょうか。それは、スターリンが馬を乗りこなせなかったからだといわれています。当時、観閲官や観閲部隊指揮官はパレード前の巡閲(観閲官がパレードに参加する部隊の容儀を確認する儀式)を、騎乗して行うのが通例だったからです。ジューコフ元帥の回想録によると、スターリンはパレードのリハーサルで落馬し、観閲官を諦めたといいます。世界中が注視するパレード本番で、ソ連の最高指導者が落馬するなどあってはならない失態です。もっとも、このエピソードの真偽のほどは、明らかではありません。

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1945年6月24日対独戦勝記念パレードで観閲部隊指揮官ロコソフスキー元帥(左側:騎乗抜刀)から準備完了報告を受ける観閲官ジューコフ元帥(右側:白馬に騎乗)。

 観閲官を務めたジューコフ元帥と観閲部隊指揮官コンスタンチン・ロコソフスキー元帥は、いずれも騎兵出身でした。ジューコフ元帥を乗せたのは「クーンミュ(アイドル)号」という名前の白馬で、この時の姿はモスクワ赤の広場の北西側、マネージュ広場にあるロシア国立歴史博物館の前に建てられた、ジューコフの騎馬像によって記念されています。ちなみに、この像でクーンミュが踏みつけているナチス軍旗のモチーフは、ベルリンから運んできたヒトラー総統官邸の石が材料になっています。

【写真】プーチン大統領専用のロシア国産リムジン

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