「馬の形をした猛獣」…日本の「軍馬」 試行錯誤の黎明期から現代にいたるその歩み
近世末の欧州の戦争において、戦場を縦横無尽に駆け、敵陣への突撃で戦局を覆す騎兵はまさに花形の兵科でした。日本はそのころ江戸時代、すっぽりと運用理論が抜け落ちてしまい、近代に突入してから大きな苦労をすることになります。
近代的な騎兵の運用は明治に入ってから! 海外からの評価は…?
有史の以前から人類のパートナーであり、乗り物でもあった馬、戦争でも馬は長いあいだ使用されてきました。むしろ、いまのように戦力の中核として使われていない時期の方が圧倒的に短いです。とはいっても有史以来の馬の歴史を解説しているときりがありませんので、ここでは、近代的な軍用馬(軍馬)が、日本ではどのような形で運用されていたのかを紹介します。
最初に、日本に近代的な騎兵の馬として運用されるタイプの馬が入ってきたのは幕末だといわれています。江戸幕府はフランス陸軍を参考としていたため、軍事指導に当たっていたフランスからアラブ種の馬が寄贈されました。当時の幕府陸軍には騎兵隊も編成されていましたが、こうしたフランス輸入の軍馬がどの程度いたかは知られていません。贈られた馬の明確な記録としては、当時のフランス皇帝ナポレオン三世が、14代将軍徳川家茂宛に送ったアラブ馬の記録などが残る程度で、日本国内の軍馬改良に、それほど大きな影響はなかったのではと思われます。
日本が本格的に軍馬の生産に注目するようになったのは明治に入ってからです。軍馬の種類には大きくわけて、将校や騎兵が使う「乗馬」、大砲や弾薬を引っ張る「ばん馬」、食料や荷物を背中につけて輸送する「駄馬」があります。特に乗馬に関しては江戸時代に入って馬の改良がストップしていたこともあり、騎兵は自他共に、他国に比べかなり貧弱という評価でした。
また、軍馬に関しての理解不足も質の低下に大きく影響していました。明治初期に日本へ来た欧州の駐在武官は「日本人は馬の形をした猛獣に乗っている」と評しました。これは牡馬を去勢しないで使っていたためです。他国では気性が大人しくなるので去勢した馬、「せん馬」を長く利用してきましたが、日本にはそもそも軍用馬を去勢する習慣がなかったのです。
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