「馬の形をした猛獣」…日本の「軍馬」 試行錯誤の黎明期から現代にいたるその歩み
約100万頭が太平洋戦争などに投入されるが…
第1次世界大戦を境に、騎兵の有効性に関しては、銃火器の発展や戦車の登場と共に薄れていきますが、あらゆるものを自動車化、機械化している現在とは違い、まだ軍馬の有効性は残っていました。
日本では、日中戦争や太平洋戦争(大東亜戦争)で、約100万頭の馬が各地に送られたといわれています。当時、物資輸送や伝令など、戦闘に関わらない全ての任務を自動車や装甲車で行っていたのはアメリカ軍くらいで、機械化が遅れた日本軍は物資輸送、情報伝達に軍馬を駆使し、それを補っていました。
ちなみに、馬の徴発令状は青色の紙で「青紙」と呼ばれ、馬が貴重な労力だった農村では、召集令状の「赤紙」で徴兵された兵隊さんと同じく、手綱を引き盛大に見送ったそうです。軍馬を用いた騎兵も、おもに中華民国軍を相手に戦った大陸の作戦では使われており、特に騎兵第4旅団は当時の日本軍に唯一残った大規模な乗馬騎兵部隊として、騎兵突撃なども行っています。
戦場で軍馬は調達コストが人間よりも高く、そのため「天皇陛下の御分身」として大事に扱われたといわれていますが、それはあくまで“世話”の部分で、損耗率という部分では話が別でした。上述した戦争での未帰還馬は50万頭といわれています。これだけでもすごい数ですが、戦後は現地に残される馬がほとんどで、日本まで兵士と一緒に帰った馬の記録は、正式な記録がないので定かではありませんが、多くても数千頭程度といわれています。後年、日本人と共に戦い、日本兵よりも高い“戦死率”だった軍馬のために「戦没馬慰霊像」という碑が靖国神社に建立されています。
2020年現在、自衛隊では、馬術や近代五種といったスポーツ種目の練習のために自衛隊体育学校が唯一、馬を飼育しています。兵種としての騎兵はなく、機甲科がそのかわりとなっています。欧米でも騎兵という名前は残っていても、式典用などで乗馬騎兵が残っているのみで、実働部隊はヘリコプターや装甲車を運用する部隊がほとんどです。
軍馬ではないものの、日本の警察では警視庁騎馬隊や皇宮警察で馬が使われています。欧米では街頭警備を専門に行う騎馬警官などもいます。
【了】
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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