月刊PANZER編集部の記事一覧
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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世界のビッグ7、戦艦「長門」の一部始終 旧海軍の象徴がビキニ環礁に沈むまで
戦艦「大和」「武蔵」は秘密兵器として秘匿され、戦後まで国民に知られなかった一方、戦艦「長門」は表舞台に立ち、長く連合艦隊の旗艦を務め、旧海軍の象徴でもありました。世界のビッグ7にも数えられた「長門」の一部始終を追います。
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発見された旧軍の重巡「古鷹」 設計と建造で混乱、条約にも翻弄されたその紆余曲折
旧海軍の重巡洋艦「古鷹」は、その傾斜した船体に見られるように、設計からして特徴的な艦といえるでしょう。特徴的すぎたゆえ、建造の現場では混乱をきたしたほどといいます。軍縮条約にも翻弄された、その紆余曲折をたどります。
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軽巡洋艦「神通」の一部始終 旧海軍切り込み担当の誉れ 語り継がれるその壮絶な最期
海底に眠る姿が明らかとなった旧日本海軍の軽巡洋艦「神通」。敵艦隊への切り込みを担当する最精鋭を集めた「第二水雷戦隊」で旗艦を長く務め、太平洋戦争では実に多くの作戦に従事した、「最強」のカタチのひとつを体現した艦です。
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重装甲空母「大鳳」はなぜ魚雷1発で沈んだ? 「不沈」をうたわれた空母の一部始終
太平洋戦争期、旧日本海軍が竣工させた重装甲空母「大鳳」は、初陣にて、たった1発の魚雷がもとで沈んでしまいました。装甲は魚雷に耐えたにもかかわらず、艦内でなにが起きていたのでしょうか。「大鳳」の一部始終を追います。
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強みは速さ、戦艦「金剛」の一部始終 30年以上戦い抜いた旧海軍最後の「帰国子女」
戦艦「金剛」は、その同型艦と共に「高速戦艦」とも呼ばれ、ほかの戦艦よりも一段上の速力が特徴です。ゆえに空母を中心とする機動部隊の随伴も務めるなど、太平洋戦争中も出番の多い戦艦でした。「金剛」の一部始終を追います。
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速い速い駆逐艦「島風」! 旧海軍がスピードを追及した理由と、一点モノで終了のワケ
小型艇などはともあれ、3000トンクラスの艦船で40ノット(約74km/h)を出すとなると、21世紀のいまでも相当速いといえるでしょう。旧日本海軍が駆逐艦「島風(2代目)」で目指したものは、そうしたハイレベルの速さでした。
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唯一無二の造形! 艦橋が個性的すぎる戦艦「扶桑」の一部始終 試行錯誤期の超ド級戦艦
「艦橋」は、いわば艦艇の顔ともいえるものですが、なかでもトガった個性を見せていたのが、旧海軍の戦艦「扶桑」でしょう。艦砲など、その艦上構造物の配置も独特です。なぜそこまで個性的な戦艦に仕上がったのでしょうか。
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戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで
21世紀のいまなお「史上最大の戦艦」の座に君臨する戦艦「大和」は、旧日本海軍の威容と落日を象徴する艦でもあります。なぜ建造され、いかに戦い、沈んだのでしょうか。最期を迎えた1945年4月7日に至るまでを振り返ります。
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戦艦はなぜ消えた? 「航空機優位」だけじゃない、空母が海上戦力の中心になった理由
かつて海上戦力の中心といえば「大艦巨砲」、つまり戦艦でした。航空機の発達もあり、第2次世界大戦でその座が空母にとって代わられたのは広く知られますが、具体的に空母の何が優れていたのか、3つのポイントを解説します。
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戦車のエンジンと燃費の悩ましい話 悪さはお察し、安全と実用性で紆余曲折の100年
昨今のクルマに比べ戦車の燃費が圧倒的に悪いのは言うまでもありません。とはいえ決して放置されてきたわけではなく、人類の英知を振り絞って工夫してきた結果があっての現状です。その紆余曲折の歴史を振り返ります。