旧日本海軍の記事一覧
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旧日本海軍の技術「漁業のお供」に 終戦直後の日本 ソナーから「魚群探知機」誕生秘話
太平洋戦争後GHQにより軍需産業を禁止された日本は、民間に数多くの技術者が流れました。旧軍が持っていた物資も一部、民間に流れており、なかには戦後発展に貢献したものも。魚群探知機の元になった音響測深機もそのひとつです。
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旧日本海軍 知られざるもう1隻の「大和」 地図に残るその偉大な測量の業績
旧海軍の超ド級戦艦「大和」は、同名艦としては2代目です。その知名度に比べ初代「大和」のほうはあまりに知られていないといえるでしょう。測量艦としても運用された初代の偉大な航跡と、「測量」の重要な意味を追います。
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戦艦「大和」はオール電化に自動調理器 「厨房の戦闘力」も超弩級だった
世界最大の戦艦「大和」には、2000人以上もの将兵が乗り組んでいました。これだけ大人数の胃袋を満たすために、「大和」では一度に作られる食事の量も膨大で、そのために調理器具も当時、最先端のものを揃えていました。
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屈指の幸運艦 空母「瑞鶴」が見た旧日本海軍機動部隊 その全盛と最期とは
太平洋戦争におけるミッドウェー海戦は旧日本海軍にとってターニングポイントとなりましたが、それ以降、機動部隊の柱を務めたといえるのが空母「瑞鶴」でしょう。「瑞鶴」の最期はまた、機動部隊の最期でもありました。
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日本初の南極観測船「宗谷」超強運だった 元軍艦 受けた魚雷は不発 総員退艦でも復活
太平洋戦争中における日本海軍の、いわゆる「幸運艦」といえば駆逐艦「雪風」が挙げられますが、初代南極観測船として知られる「宗谷」も戦時中、これに伍するほどの超絶強運を発揮していました。その数奇な艦(船)歴を追います。
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プロペラ飾る神社に見た伊勢崎市と中島飛行機の深い縁 戦後は富士重工「スバル360」も
神社と飛行機のプロペラ、一見どう関係するのか不明な両者ですが、実はプロペラが奉納された神社は全国にいくつかあり、そして群馬県の伊勢崎神社もそのひとつです。背景には戦前からの航空機メーカーとの、長く深い由縁がありました。
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戦艦「大和」の装甲はどれぐらい強かったのか? アメリカ軍の実射テストの結果は…
世界最大の戦艦として知られる旧日本海軍の戦艦「大和」。アメリカの新型戦艦との砲撃戦を想定して、装甲防御力も格段に強化していました。その強力な防御力の一端をはかり知ることができる遺構がアメリカ本土に残されています。
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戦艦「大和」に傷病者が殺到したワケ 海自護衛艦「いずも」と「大和」の意外な共通点
旧日本海軍の戦艦「大和」は、前のタイプである戦艦「陸奥」から約20年ぶりに就役した戦艦です。建造がそれだけ開いていたため、兵装だけでなくさまざまな点で一新され、医療面でも従来の軍艦とは段違いの充実ぶりでした。
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常識外れだった「真珠湾攻撃」 背景にあった技術革新とは 旧海軍は課題どう克服したか
太平洋戦争の口火を切ったハワイ作戦、すなわち「真珠湾攻撃」は、それまでの世界の常識を覆すものでした。その背景にある、着想、課題の洗い出し、その克服といった、旧日本海軍による大きな技術革新の内訳を見ていきます。
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旧海軍「一航戦」なぜ公式最強? 空母「赤城」「加賀」時代とその後支えた「五航戦」
旧日本海軍の部隊編成単位である「航戦」こと「航空戦隊」は、空母を基幹とし駆逐艦など警護艦数隻からなる部隊のことです。真珠湾攻撃に臨むにあたり最強をうたわれた「一航戦」の編成経緯や、その後を支える「五航戦」を追います。