金剛型戦艦4隻「幻のヨーロッパ派遣」 第1次世界大戦でイギリスが欲しがったワケ
旧日本海軍の金剛型戦艦は、太平洋戦争に参加した日本の主要戦艦のなかで最古参ながら、俊足を生かして最も勇戦したといわれます。そんな優秀な金剛型、就役間もない頃に、ヨーロッパに派遣される話がありました。
「坂の上の雲」を目指して
明治維新によって近代国家の仲間入りをはたした日本は、欧米列強に追い付け追い越せとばかりに富国強兵に舵を取り、工業力の充実とともに軍備の拡充にまい進しました。この時、海軍力の整備において参考にしたのがイギリス海軍でした。旧日本海軍は海軍兵学校の教育方法や水兵の訓練などといったソフトの面だけでなく、当時の日本の工業技術力では建造できなかった軍艦や艦砲のようなハードの面についてもイギリスに頼ったのです。
やがて日本でも、そこそこの大型軍艦が建造できるようになりました。しかし20世紀初頭、世界でもっとも先進的だったイギリスの造船技術にはまだ一歩およびません。そこでギャップを埋めるべく、イギリスに当時最新鋭の艦種である巡洋戦艦を発注。1番艦はイギリスの造船所で建造し、2番艦以降は技術習得のために日本の造船所で建造することにしました。
これが金剛型巡洋戦艦です。1番艦「金剛」はヴィッカース社バロー造船所で1911(明治44)年1月17日に起工され、1913(大正2)年8月16日に竣工。ちなみに金剛は、日本海軍がイギリスに発注した最後の戦艦となりました。
以降、2番艦から4番艦までの3隻は日本国内の造船所で建造され、2番艦「比叡」が1914(大正3)年8月4日に竣工。翌1915(大正4)年4月19日には、3番艦「榛名」と4番艦「霧島」がほぼ同時に竣工しています。こうして最新鋭の巡洋戦艦4隻を揃えた旧日本海軍は、これらで第2艦隊第3戦隊を編成。同戦隊は当時、世界最強と目されたのです。
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