戦艦「武蔵」建造を支えた「給兵艦」とは? その名は「樫野」 運んだのはあの46cm砲!

戦艦「武蔵」は長崎で建造されましたが、その巨大な主砲は呉で造られ、そして計画当初、長崎へ運ぶ手段がありませんでした。というわけで専用の運搬船「樫野」が建造されることに。日本海軍の歴史を陰で支えたとあるフネのお話です。

「給兵艦」という名の輸送船 その用途は…

 日本の技術力を結集した、絶対の秘密兵器である大和型戦艦の46cm主砲。実はあるフネの存在が無ければ完成しなかったかもしれません。

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大和型戦艦の主砲の大きさが分かる有名な「大和」建造最終段階の写真。「樫野」はこの主砲塔を分解して1回で運ぶことができた。

 戦艦「大和」「武蔵」の46cm主砲はギネスブックにも掲載されている、世界最大の艦載砲です。日本海軍は仮想敵であり数に勝るアメリカ海軍の戦艦群に対抗するため、当時の標準的な戦艦の主砲だった40cm砲を上回る46cm砲搭載艦に執念を燃やします。世は大艦巨砲主義時代でした。呉海軍工廠で46cm主砲を製造した巨大旋盤が現在も残っていて、2020年8月末に所有していた機械部品製造会社から呉の「大和ミュージアム」へ寄付されることになり、ニュースになりました。

 この巨大旋盤は当時、日本の技術力では造ることができず、ドイツのワグナー社から輸入したもので、長さ21m、直径1m超の主砲を100分の1mm単位の精度で加工し、200tの鉄の塊から160tの砲身を削り出したといわれます。

 しかしこれら建造設備以外に、大和型戦艦の建造に無くてはならない1隻のフネがありました。このフネが事故などで万一失われていたら、戦艦「武蔵」は46cm砲を載せられない未成艦になっていたかもしれないのです。

 そのフネとは、給兵艦「樫野」です。日本海軍の類別区分では運送艦とされますが、そのなかで「給兵艦」とされたのは「樫野」のみです。

【写真】全体写真が残存しない「樫野」の貴重なショット

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