八王子に眠る「沖縄のはしご車」 車歴に隠された戦後日本のターニングポイントとは
周りが左ハンドル車だらけのなか、あえて右ハンドルで配備
とくに道路交通に関しては、信号や標識、道路標示だけでなく、バスなどは車両構造も変更しなければならないため、しばらくは暫定措置によって沖縄県だけ従来のまま右側通行とされます。しかし国際的な「ジュネーブ道路交通条約」によって「一国一交通制度」が規定されていたため、将来的には他の都道府県と同じく左側通行にする必要がありました。
日本政府は1975(昭和50)年6月、3年後の1978(昭和53)年7月30日を目途に沖縄県全域の交通法規を修正することを決定、同日を持って一斉に右側通行から左側通行に切り替えることとします。この日は「ナナサンマル」の名で喧伝されました。
そうなると、1978(昭和53)年以降も使用する車両は、最初から右ハンドルの方が都合が良いわけです。このような経緯のもと、「ナナサンマル」の4年前、右側通行だった沖縄にあえて右ハンドルで配備された消防車の1台が、日野オートプラザに展示されているTE120改なのです。
前出のとおり、それまで沖縄に配備されていた消防車の多くはアメリカ製、もしくはアメリカ製のトラックがベースでした。日本復帰からわずか2年後に配備されたTE120改は、左ハンドルの消防車ばかりのなか、きわめてレアな右ハンドルの日本製消防車であったため、ある意味で復帰の象徴だったようです。
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