八王子に眠る「沖縄のはしご車」 車歴に隠された戦後日本のターニングポイントとは
日野自動車が保管するもう1台のはしご消防車とは
1978(昭和53)年7月30日を境に、ほかの46都道府県と同じく左側通行になった沖縄県は、一転して右ハンドル車が主流になっていき、1980年代になると右ハンドルの消防車も特段珍しいものではなくなっていきます。
TE120改はしご消防車は23年間使われたのち、1997(平成9)年に退役しました。いまではボンネット型のはしご消防車として希少な1台ですが、実は沖縄の歴史を語るうえでも貴重な車両といえるでしょう。
なお、現役を退いたTE120改は地元ディーラーの仲介で、2000(平成12)年に東京へ。およそ四半世紀ぶりに日野自動車のもとへ「里帰り」しています。
ちなみに日野自動車にはもう1台、1970年代生まれのはしご消防車があります。それは2020年3月まで山梨県都留市で使われていた「KB型」。1978(昭和53)年製で40年以上にわたって現役であり続けたベテランです。
こちらは鼻っ面のない、いわゆるキャブオーバータイプのため、ボンネットタイプのTE120改とともに展示されれば、ほぼ同年代ながら形状の違う消防車両として比べることができるでしょう。将来の展示が待ち望まれます。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
コメント