「狭隘区間だらけ」奈良のバス 社寺古墳 古い家並み細い道…千年の都を走るバス工夫
「古都」の歴史と共存 戦後に変貌を遂げた奈良とバス
古都・奈良は戦後、大阪の通勤圏として、里山が切り拓かれ多くの団地が造成されました。
かつては峠越えの山道であった狭隘路を進む「奈良富雄線」の48系統(近鉄奈良駅~学園前駅)などは、沿線に垂仁(すいにん)天皇陵や農業用の池もあり、これらを避けるように蛇行している道路沿いにできた住宅団地の足として運行されています。バスはこの路線でも細やかな無線連絡を行ない、狭隘区間でバスが行き合わないように調整をとっています。
また奈良市の北西部や生駒市北部に位置する近鉄けいはんな線の沿線は、大阪の地下鉄(中央線)に直通していることもあり、バブル期以降、すっかり大阪郊外の住宅地に変貌を遂げました。
もともとは民家や農作業小屋を縫うようにローカルバスが走る地域でしたが、急速な発展でバス路線も本数も激増し、朝晩には乗るのもやっとという状態が長く続きました。2列に並んで乗車できる4つ折り扉の車両や、前・中・後の3扉車の採用、急行系統の運転など、奈良交通は多くの乗客をさばくための対策を積極的に行い、今日に至ります。
そうしたなか、新道を走る幹線路線バスに混じって、94系統(富雄駅~傍示)など、昔ながらの道を走るローカル路線もひっそりと残っています。広いバイパスと交差しながら、のどかな道を盆地の山裾まで走る車窓は、ひと昔前と現代を交互にタイムスリップしているような感覚を味わえます。
また、奈良時代以前の歴史をたどるなら、奈良市北東の郊外へ延びる広岡線(近鉄奈良駅~広岡)や、「日本一長い路線バス」こと八木新宮線(大和八木駅~新宮駅)も良いでしょう。前者は後醍醐天皇など南朝の要人が落ち延びた京都~奈良間の「裏」街道をたどることができ、後者は神武天皇が八咫烏(ヤタガラス)に案内された神話のルートをさかのぼれます。このほか、剣豪の列伝で知られる柳生街道や忍辱山(にんにくやま)をたどる石打線(近鉄奈良駅~石打)などもオススメです。
座席に座ったままで1000年、2000年前から近代までのさまざまな歴史をたどることができるのが、古都・奈良のバス旅行の魅力ではないでしょうか。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
「忍辱山」は、「にんにくやま」ではなくて「にんにくせん」ですね。