「狭隘区間だらけ」奈良のバス 社寺古墳 古い家並み細い道…千年の都を走るバス工夫
バスに居ながら歴史探訪 美しい名前の「歌姫線」
車窓だけでなく、沿線の史跡や地名からも歴史を感じられるのは、奈良のバスの特徴かもしれません。「歌姫線」という美しい名を持つ路線もそのひとつです。
●狭隘路線に歴史が凝縮! 73系統「歌姫線」(大和西大寺駅~歌姫町)
大和西大寺駅から東へ、平城京の太極殿(たいごくでん)北側を通り、京都へ通じる歌姫街道(県道751号)を北へ歌姫町まで走る路線です。乗り通してもわずか7分ほどですが、歌姫街道が狭く小型車で運行され、なおかつ短い道中でギュッと凝縮して歴史をたどることができます。
歌姫街道に入ると、あたりには田畑が広がり、土壁や蔵の造りが、この街道のかつての繁栄ぶりを物語るようです。遠くに広がる山や田畑の緑、そして歌姫の街並みが描くコントラストは、小説『風立ちぬ』で知られる作家・堀 辰雄さんが「ピサロの絵にでもありそうな構図」と評したほど。現在では自動車の交通量も極めて多い街道ですが、通りから遠ざかって眺める田畑の新緑は、いわれてみれば印象派の絵画に出てくる農村の風景のようです。
終点の歌姫町バス停の先には、宮廷の雅楽師たちが住んでいたともいわれる歌姫町の北側には平城山(ならやま)がそびえ、「万葉集」「新古今和歌集」などの短歌や文学作品ゆかりの風景を眺められます。ここら道幅はさらに狭まり、クルマ1台が通るのもやっとというところもありますが、かつては歌姫町から300mほど北、添御縣坐神社(そうのみあがたにますじんじゃ)までバスが運行されていました。
この神社の境内にある奈良時代の貴族・長屋王(ながやのおう)の次の歌碑も、是非とも訪れたいものです。
「佐保過ぎて寧楽の手向に置く幣は妹を目離れず相見しめとそ」(万葉集 巻3 300)
この句は、旅立ちの前に幣(ぬさ。神前に供える道具)を手向けに置き、妹(想い人。この場合は妻)に想いを残しながら寧楽(奈良)を離れる心境を表しているともいわれます。
このように、奈良はバスに乗るだけで歴史と道路の狭隘さを眺めることができる路線が少なくありません。ほかには、薬師寺近辺でクランクカーブを描く近鉄西ノ京駅発着の路線などが挙げられます。
「忍辱山」は、「にんにくやま」ではなくて「にんにくせん」ですね。