「バニラエア」とは何だったのか? 「エアアジアJ」から成田を明るくしたLCCの紆余曲折

明るいフィナーレの後… 名残りはANAにまで

 2019年10月5日、成田空港の格納庫に約300人のスタッフが集い行われたのは、空港のチャイムや飛行機のエンジン音など、バニラエアのスタッフや利用者が耳にしていた音をベースに作られたオリジナル曲の発表。格納庫では参加者全員の掛け声を録音し、それを「完全版」として特設サイトで公開しました。最終運航日となった10月26日には、成田空港でバニラアイスを片手に乾杯をし、最後を迎えました。バニラエア時代の5年10ヶ月で約7万5000便を運航。総旅客数はおよそ1130万人にのぼったそうです。

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ピーチのエアバスA320型機(2020年、乗りものニュース編集部撮影)。

 先述のクリームパンは引き継がれることはありませんでしたが、バニラエアの路線の多くはピーチとして引き継がれ、いまのピーチの一大ネットワークへとつながっています。バニラエアが保有していたエアバスA320型機の12機は、順次ピーチ色に塗り替えられ就航。ひと目ではわかりづらいですが、元バニラ機を意味する「JA●●VA」の機番はいまもそのまま刻まれています。

 そして、実はこの元バニラのエアバスA320型機のうち3機は、機内の仕様そのままにANAで運航されています。国内線の羽田~八丈島線、庄内線などに見られる時刻表記載「32G」の機材がこれで、ある意味「貴重な体験」ができる飛行機になっています。

 ちなみにこの「32G」はいずれも、初代エアアジア・ジャパン時代に発注され、バニラエアでエアアジア仕様のまま就航開始、さらにANAでいま飛んでいるという、これらの歴史の紆余曲折を知っている飛行機といえるでしょう。

【了】

※一部修正しました(10月27日9時27分)。

元バニラエアのANA機を激写!

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コメント

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3件のコメント

  1. >2020年10月5日、成田空港の格納庫に約300人のスタッフが集い行われたのは、
    「3密避けろ」って言われてたのにそんなことしてたの……?(棒読)
    2019年の間違いじゃないかと……。

    • ご指摘ありがとうございます。記事を訂正いたしました。

  2. カバン一つでホーチミンまでバニラエアで行ったなー、往復3万円台だった記憶
    途中台湾桃園国際空港で一回降ろされて、日本の航空会社なのに日本人が殆ど乗ってない路線でした
    気づいたら路線無くなってたけど