戦後初の国産旅客機「YS-11」 実際売れてない&狭い&操縦大変…でも成功といえる理由
パイロットから見ても「手間がかかる子」YS-11 なぜ?
また、YS-11型機は、操縦系統には油圧や電気などを使わず、操縦席から動翼までワイヤーで直結です。つまり翼を人力で動かす必要があるため、パイロットからは「操舵が重い」と声が聞こえたことも。実際に航空会社で運航していた時も「ちょっとトホホ」なエピソードに事欠かなかったそうです。たとえば、私(種山雅夫:元航空科学博物館展示部長 学芸員)が航空会社に投入された当初、よく聞いたのは、「雨が漏れるのでドリルで尾部に排水孔を開けた」、「ドアが閉まらない」などです。
そして製造機数も、YS-11型機は182機。一方「ジャンボ」は1500機以上なので、ヒット機ではないということは確かでしょう。
ここまで話すと、YS-11型機が「まるきり残念な飛行機」のようですが、見方を変えれば必ずしもそうではありません。
たしかにYS-11型機は、「よく売れる」、「スペックの高い」といった、いわゆる商業的な成功作とは言い難いものの、それと異なる意味で成功した旅客機ともいえます。
というのも、かつて「零戦」を産み出した戦前の日本航空工業界ですが、戦後は、航空機設計から離れていました。YS-11型機の大きな成果は、その状況から実際に旅客機を製造し、世界に通用する航空機を日本で開発できると証明したことと言えるでしょう。事故の発生歴は無いことはないのですが、機体の根本的な欠陥による墜落事故ではなく、先述の「ブランク」があったにもかかわらず、安全性が高かったこともポイントです。丈夫に作りすぎて、かえって重くなってしまったなんてエピソードも聞かれたくらいです。
おもろい
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