「トライスター」もエアバスだった!? 大手メーカー「エアバス」の一風変わった名前の由来
ダグラスのエアバス…どういうこと? カギは「第3世代旅客機」の概念
ただ、このA300型機の開発にエアバス・インダストリーが社運をかけていたのも、これまた事実でしょう。これには筆者(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)の推察も含まれるのですが、A300は、フランスのダッソーが手掛けた第2世代の双発ジェット機、「メルキュール」の拡大版といえるようなモデルでした。
「メルキュール」は、ダッソーの思惑とは裏腹にライバルの737シリーズに販売で大きな差をつけられ、製造はわずか12機で終了しています。A300の開発は、この「メルキュール」の借りを“倍返し”するためヨーロッパの航空機メーカーの技術を結集したのでは……とカンぐったりしています。
A300も含まれる第3世代旅客機の特徴は、数百人の乗客を乗せ、アメリカ大陸をノンストップで横断できること、経済的にも燃費がより良い「ターボファンエンジン」を採用していること、空港での運用を考慮して機体下部に貨物コンテナを搭載できることなどでしょうか。
ただ、それ以降の旅客機では一般的な、操縦システムの自動化は進んでおらず、コクピットはメーターが並ぶ昔ながらの計器盤を備えたものでした。しかし、管制システムなどの進歩に対応しており、気象レーダーなども装備されていました。
他方で客室に目を移せば、第2世代の短通路(シングルアイル)から、「ジャンボジェット」の愛称で知られるボーイング747並みの複通路(ツインアイル)を採用しており、化粧室に行く際など、隣のお客さんを2人も乗り越えなくても、比較的スムーズに通路に出ることができるようになっていました。
こういった第3世代の旅客機は、A300に限らず、どのメーカーの機体でも当時「エアバス(空飛ぶバス)」と呼ばれていました。まさにバスのように、大量に輸送できる空輸手段として捉えられていたからであり、航空旅客運送業界では、エアラインやメーカーに関係なく、こういった旅客機の総称として用いられていたのです。
「エアバス」と呼ばれていた旅客機をいくつか紹介すると、三発機のダグラスDC-10、ロッキードL-1011「トライスター」、そして、前述のエアバス・インダストリー製A-300、いわゆる東側諸国のものであえば、4発機ではあるもののソ連製のイリューシンIl-86などがあげられるでしょう。
たしかに、子どもの頃エアバスという言葉は複通路機だけを指す言い方だった。
今のようにエアバス社の売れ行きナンバーワン商品が(単通路機の)A320シリーズだなんて状況は当時の人が見たら「矛盾」と思えるだろうね。
A300へのボーイング社の「解答」がB757(単通路)/B767(複通路)でしたかね。日本ではB757は国際線で飛んでくる以外見なかったですが。
そういやANAさん、A320/A321を全機砂漠送りにしてジェットは(MRJやスカイマーク支援のために買っちゃったA380は別にして)ボーイング機でフリート固める、という話が気がつけばA320やA321を続々導入という……。