「トライスター」もエアバスだった!? 大手メーカー「エアバス」の一風変わった名前の由来
元祖「エアバス」の一種「A300」 メガヒットとはならなかったものの…
さて、A300を開発することに社運をかけたエアバス・インダストリー。もちろん諸説あるものの、こういった経緯を見ると、何となくインダストリーを“こっそり”つけた訳が分かるような気がします。
A300の製造機数は567機と、時代を席捲するメガヒット作とまではならなかったものの、会社経営が安定したことで、次にA320という1988(昭和63)年デビューの大ヒット機の誕生につなげることができました。このベストセラー機が生まれたことにより、737への“倍返し”にも成功し、エアバス・インダストリーは旅客機メーカーの2大勢力の一角を占めるまでに規模を大きくすることができたのです。
またA300は「中型旅客機のスタンダード」ともいえる、双発、広胴、ツインアイル、航続距離は中長距離というスタンダードを確立したこともポイントでしょう。それはジェット旅客機の第7世代ともいえる、エアバスA350、ボーイング787といった現行の最新鋭機にも引き継がれているため、その点でA300は、旅客機の歴史に名を刻んだといえるのではないでしょうか。
なお、A300は先述したとおり、300人乗りから来たというのが最も広く知られている説ですが、エアバス・インダストリーの場合、後継機にはA310、A320といったように、モデル名を「300から10刻みで足す形」で付与する流れが一般的になりました。そのため、A300の次に開発されたA310が310人乗りなのかといえば、そうではなく短胴で長距離型となっています。
とはいえ、総2階建ての巨大機A380は、A340の後に開発されたにもかかわらず、いきなり番号が飛んでいるなど、その命名法則も、あくまで参考程度に……といったところのようです。
ちなみに、中国では航空機メーカーのエアバスのことを「空中客車(空客)」とか、香港、台湾では「空中巴士(空巴)」と表記するそう。残念ながら発音の仕方はわかりませんが、漢字の並びだけ見ると少し優雅に思えます。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
たしかに、子どもの頃エアバスという言葉は複通路機だけを指す言い方だった。
今のようにエアバス社の売れ行きナンバーワン商品が(単通路機の)A320シリーズだなんて状況は当時の人が見たら「矛盾」と思えるだろうね。
A300へのボーイング社の「解答」がB757(単通路)/B767(複通路)でしたかね。日本ではB757は国際線で飛んでくる以外見なかったですが。
そういやANAさん、A320/A321を全機砂漠送りにしてジェットは(MRJやスカイマーク支援のために買っちゃったA380は別にして)ボーイング機でフリート固める、という話が気がつけばA320やA321を続々導入という……。