やっぱり廃線跡だった! 東京「鉄道ファン目線でアヤシイ小道」5選

国鉄の廃線、「軍都」の廃線、壮大な廃線跡緑道も

 やや郊外のエリアにも、街なかの廃線跡が存在します。

中央線からカーブを描く線形がアヤシイ:堀合緑道・グリーンパーク緑道

 中央線の三鷹駅付近の地図を見ると、駅の西側から分岐するようにカーブを描き、北東方向へ向かっている小道があります。これはかつての中央線の支線「武蔵野競技場線」の廃線跡で、大部分が堀合緑道(三鷹市)、グリーンパーク緑道(武蔵野市内)として整備されています。

 この路線は、戦時中にあった中島飛行機の工場への引き込み線跡を活用したもので、工場跡の一角に「グリーンパーク野球場」が造られたのを機に、その旅客輸送を目的として国鉄が1951(昭和26)年に開業、中央線から列車を運行しました。

 グリーンパーク野球場は国鉄スワローズ(ヤクルトスワローズの前身)が本拠地としたものの、わずか1シーズンで閉鎖、武蔵野競技場線も3年後に廃止されました。中島飛行機工場や球場の跡地は、都立武蔵野中央公園などになっています。

神社の参道も実は廃線跡:赤羽緑道公園

 赤羽駅西側の赤羽台には東京でも有数の一大団地が形成されていますが、その高台のふもとに沿うような形で、JR線付近から南西方向へカーブしながら続いているのが赤羽緑道公園です。

 緑道は、かつての陸軍兵器補給廠専用線の廃線跡に整備されています。戦前の赤羽台から桐ケ丘、板橋方面にかけて旧日本陸軍の施設が広がっており、もとは国鉄線からそこへ物資を運ぶための専用線でした。緑道には線路を模したような路面のデザインなど、廃線跡を感じられる仕掛けが随所に見られます。ちなみに、埼京線と東北本線に挟まれた位置に鎮座する赤羽八幡神社の参道の一部も、かつての専用線跡です。

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赤羽緑道公園(乗りものニュース編集部撮影)。

江東区を南北に:亀戸・大島・南砂緑道公園

 亀戸駅前の京葉道路(国道14号)から、南へ「亀戸緑道公園」がまっすぐ延びています。首都高の下を過ぎ「大島緑道公園」と名を変え、新大橋通りを過ぎると蛇行して明治通りへと続きます。その明治通りを1.5kmほど南下した南砂三丁目付近に、再び緑道の入口がありますが、これが「南砂緑道公園」で、大きなカーブを描いてさらに南の永代通りへと続いています。

 これらはいずれも、都電砂町線の跡。錦糸堀からコの字型を描くようにして日本橋までを結んだ38系統が通っていました。さらに歴史を遡ると、この路線は城東電気軌道という私鉄が開業したものです。

 緑道にはレールのモニュメントや、実際の都電車両の車輪などがあり、都電の面影を伝えています。また、南砂緑道公園はJRの貨物線(越中島線)の下をくぐりますが、そこには「城東電軌こ線ガード」と書かれたJRの看板もあり、私鉄時代からの歴史をしのぶことができます。

【了】

※一部修正しました(3月21日11時15分)。

【航空写真】廃線跡の緑道 空から見るとナルホドな線形

テーマ特集「【特集】消えていく面影、今も走れる…鉄道の「廃線」どこにある?」へ

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コメント

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4件のコメント

  1. 亀戸の路面電車跡は、近くに住んでいた祖母と一緒に小さい頃よく行っていました
    竪川を渡る鉄橋の近くに線路と車輪のモニュメントがありました
    今では自転車で亀戸から西大島へ抜ける裏道としてよく使っています

  2. 上野駅前のマルイに沿った細い商店街、秋葉原への市場へ向かう貨物線の線路跡です。
    東京や大阪など大都市の街ナカでもあまり知られていない廃線跡は結構あります。

  3. 飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントのあるアイガーデンプラザ、元々は飯田町駅(貨物駅)でした。
    よく見ると、一部、舗装の中に線路と枕木を模した部分があります。

  4. JR貨物線東京貨物ターミナル駅と隅田川駅も貨物線では東京都内で唯一広い駅だと思います。東京都内の貨物輸送は広い東京貨物ターミナル駅があるので案外ゆっくり時間かけて輸送できそうですよ。