存続期間たった8年「京成白鬚線」何だったのか? 東京の下町から消えた鉄路

白鬚線に見る京成の苦悩

 白鬚線が計画された大正時代、京成線の本線は現在の押上線でした。押上を起点に千葉方面を結んでいましたが、より都心部への乗り入れを画策して、浅草や上野などへ路線を延伸する申請を国に行い、そのなかで唯一許可を得て建設に至ったのが白鬚線でした。

 白鬚から先は隅田川を越え、荒川区の三ノ輪橋で現在の都電荒川線、当時の王子電気軌道と連絡することを目指していました。さらに日暮里方面へ路線を延伸する計画もありました。

 ただ白鬚線開通後、日暮里~筑波間などの建設免許を取得していた筑波高速度電気鉄道が、京成に合併を持ち掛けます。同社は免許を取得したものの資金面から開通の目途が立っていなったそうですが、もともと鉄道を建設する気がなく、取得した免許を他社に売却する投機目的の会社だったともいわれます。それはともかく、京成にとっては願ってもないチャンスだったのかもしれません。

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京成押上線の京成曳舟~八広間、かつて白鬚線が分岐していた箇所付近。高架化は2015年完成(乗りものニュース編集部撮影)。

 とんとん拍子に話が進んだのか、京成は1930(昭和5)年に筑波高速度電気鉄道を合併し、白鬚線開通からわずか3年後の翌1931(昭和6)年に青砥~日暮里間を、1933(昭和8)年には日暮里~上野公園(現・京成上野)間を開通させます。これが現在の京成本線であり、東京から郊外へ延びる私鉄としては初めて、山手線の内側への乗り入れを実現しました。

 こうして都心乗り入れを果たしたことで、白鬚線は存在価値を失ってしまい、早々に廃止されました。なお戦後、京成押上線は都営地下鉄浅草線の開通とともに、日本初となる郊外私鉄と地下鉄との相互直通運転を開始し、京成線は都心側が上野発着と、地下鉄浅草線直通のダブルルートとなって現在に至ります。

【了】

【幻の「白鬚線」のルート】

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コメント

1件のコメント

  1. 戦中派がもっと存命だった頃には、1067mm系の私鉄には戦時中にどこそこの飛行場やら弾薬庫に引き込み線が敷かれようとしていたという話をいくつか聞いたけど、正史ではないし機密事項でもあっただろうから鉄道の社史にも載ってないことが多い。