日本の航空会社、なぜここまで激増? 一強→三強 そして群雄割拠になった歴史

かつて日本ではJAL、ANA、JASの3社がほとんどの国内線を飛ぶ時代が続いていました。そこに至るまでどのような経緯があったのでしょうか。そして、新規航空会社が一気に増えた現代、その3社体制からどう変わったのでしょう。

戦後航空解禁でJALがデビュー 相次ぐ航空会社の設立計画

 かつて日本の航空会社は片手で数えられるほどの社数しかありませんでしたが、2020年夏季時点で、国土交通省が国内に拠点を構える航空会社「本邦航空会社」と定義しているのは25社にも上ります(その後エアアジア・ジャパンは運航終了)。どのように増えていったのでしょうか。

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JALのボーイング787型機とスカイマークのボーイング737型機(乗りものニュース編集部撮影)。

 現在こそ運賃を払えば、ほとんど誰もが好きな航空会社や路線に乗ることができますが、第二次世界大戦中の民間航空会社は、国営の大日本航空1社しか存在しませんでした。戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、日本では民間航空も含め航空の活動が禁止されましたが、1950(昭和25)年に解禁され、日本に民間人向けの航空会社が誕生しました。これが現在の日本航空(JAL)です。

 日本航空は1951(昭和26)年に運航を開始しました。当初は、運航機材である2基のプロペラ・エンジンを搭載したマーチン2-0-2型機、そしてパイロットまで、アメリカのノースウエスト航空からレンタルする形でスタートしています。

 その翌年ごろから、日本航空以外の航空会社も、相次いで航空路線の開設を計画することになり、その社数は10社近くにもなりました。ただ、最終的には運輸省(現・国土交通省)の方針から、定期路線を運航する航空会社として、国際線、国内幹線を日本航空、ローカル線を東西に分けて2社とすることを決定します。

 東日本は日本ヘリコプター輸送、西日本は極東航空の2社が免許を得て、運航を開始しますが、フラッグキャリアのJALと異なり、ローカル路線を運航する2社は経営状況が悪化。運輸省の指導により日本ヘリコプター輸送に極東航空が合併する形態で、全日本空輸(ANA)が誕生しました。

 なお、この時、2社以外でも不定期ローカル路線というカテゴリーであれば、国内航空路線を運航できることができるとされ、東日本に日本国内航空(JDA)、西日本に東亜航空(TOA)などが就航しています。

 その後、運輸省は国内を7つのブロックに分け、それぞれの域内で1社に路線免許を発行することにしましたが、国内ローカル線の旅客数は増加し続け、翌年には域外への就航が可能となり、民間航空会社の「戦国時代」に入ります。

【一覧表】多い!2020年夏季時点の国内航空会社25社

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コメント

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6件のコメント

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  2. 色んなエアラインに等しく頑張れと告げるのは実際に乗ってあげることだと思うが、就航地の面からなかなか難しい。かつて結構狙って乗ったものだが主なところではFDA、天草、スターフライヤーを未利用だ。中でもSFは親戚が北九州市に住んでいるのだが安くならない上、トータルの所要時間では福岡空港利用に負けるのだ。

  3. > 民間航空会社は、国営の大日本航空1社しか存在しませんでした。
    って「ん?」って感じなんだけど、民間なのに国営ってどういうことなんだろう。

    • Civil Aviationを直訳したんでしょうかね
      軍事or民間の民間という意味ですから、単に「航空会社」としたほうが素直だと思うのですが

    • なるほど、「公営or民間」ではなく「軍事or民間」!
      和訳の件まで分かりやすい解説でスッキリしました。ありがとうございました。