日本の航空会社、なぜここまで激増? 一強→三強 そして群雄割拠になった歴史

民間航空会社「戦国時代」→大手3社体制になるまで

 1960年代後半になると、運輸省では日本航空と日本国内航空、そして全日空と東亜航空の合併を図り経営を改善させようとしますが、うまくいかず、日本国内航空と東亜航空が合併して東亜国内航空(TDA、のちに日本エアシステムに社名変更、現JAL)が誕生します。

 東亜国内航空といえば、YS-11を早くから運航していたほか、国内線のジェット化においても、日本航空や全日空がボーイング社製の737を使用していたのに対して、ダグラス社製のダグラスDC-9、その派生型にあたるMD80系を使用するなど、一風変わった機材編成が特徴でした。

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JAS/TDAのDC9-81/MD-81型機(画像:JAL)。

 その後運輸省は、国際線を日本航空、国内幹線を日本航空と全日空とする、いわゆる「45・47体制」を確立させ、ローカル線には東亜国内航空が就航しました。この頃から、エアライナーのジェット化が始まり、日本航空はダグラスDC-8、全日空はボーイング727、737などを数多く使用しました。ここからしばらくは、日本航空、全日空、東亜国内航空の3社体制が続きます。

 なお「45・47体制」の「45」は昭和の年号に由来します。1985(昭和60)年に同体制が撤廃されるまで継続しますが、その後も路線免許制の方針は、従来どおり変わりませんでした。

 その後、1986(昭和61)年の運輸政策審議会答申に沿って、1987(昭和62)年の日本航空の完全民営化、1997(平成9)年には国内線のダブル・トリプルトラック制(国内航空路線就航会社の2社化及び3社化)の廃止などを経て、この体制の大きな転機が訪れたのは2000(平成12)年、航空法の改正による規制緩和です。旅客の増加にともなって、路線は免許制から許可制となり、定期航空運送事業の許可を受けていれば路線や便数をある程度自由に設定できるようになりました。

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コメント

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6件のコメント

  1. 配信を停止したい

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  2. 色んなエアラインに等しく頑張れと告げるのは実際に乗ってあげることだと思うが、就航地の面からなかなか難しい。かつて結構狙って乗ったものだが主なところではFDA、天草、スターフライヤーを未利用だ。中でもSFは親戚が北九州市に住んでいるのだが安くならない上、トータルの所要時間では福岡空港利用に負けるのだ。

  3. > 民間航空会社は、国営の大日本航空1社しか存在しませんでした。
    って「ん?」って感じなんだけど、民間なのに国営ってどういうことなんだろう。

    • Civil Aviationを直訳したんでしょうかね
      軍事or民間の民間という意味ですから、単に「航空会社」としたほうが素直だと思うのですが

    • なるほど、「公営or民間」ではなく「軍事or民間」!
      和訳の件まで分かりやすい解説でスッキリしました。ありがとうございました。