開業した横浜のロープウェー 眼下に続く「廃線跡」は何? 近代史を牽引した鉄路
臨港線「最後の花道」を飾って遊歩道に
しかし、日本が戦争に突き進むなかで、国際港としての横浜港は旅客・貨物ともに冬の時代を迎えます。敗戦後にようやく旅客航路が復活した頃にはすっかり航空機が台頭し、1960(昭和35)年に横浜~シアトル間で最後の定期就航に就いた「氷川丸」の接続列車をもって、横浜港における「ボート・トレイン」の歴史に幕が閉じられました。
貨物もまた、コンテナ船の導入によって、新港が担っていた保税蔵や物流拠点の役割は郊外へ分散していきます。当時の国鉄も大型コンテナを扱える埠頭へ臨港線を延伸(山下貨物線)するなどの手を打ちますが、周辺の反対を押し切ってまで山下公園の中心部に建設した高架線を開通させた1965(昭和40)年頃には、後に総合保税地域(FAZ)の指定施設も建設される大黒埠頭の整備が進み、山下埠頭の役割は取って変わられようとしていました。この頃には、周辺の鉄道貨物の役割も根岸や鶴見からの石油や化学製品輸送にシフトし、国鉄も新港の貨物輸送にこだわる理由がなくなったのかもしれません。
横浜臨港線は1986(昭和61)に全面廃止となり、1989(平成元)年に開催された「横浜博覧会」の輸送機関として復活、最後の花道を飾ったあと、遊歩道「汽車道」に形を変えていまに至ります。並行して「みなとみらい21計画」と総称される再開発によって、物流拠点としての新港もすっかり変貌を遂げました。
新港から鉄道が消えて30年。日本初の鉄道が終着とした初代横浜駅、すなわち桜木町から新港に至る線路の痕跡を、「ヨコハマ・エア・キャビン」から俯瞰できるようになるとは、当時の人からすると予想だにしなかったことでしょう。
開国から現在までの姿が刻まれた「歴史のテーマパーク」ともいえる横浜港を楽しむなら、ロープウェーだけでなく連節バス「ベイサイドブルー」や巡回バス「あかいくつ」、湾内の水上バスなどを組み合わせてじっくり巡るのがよさそうです。もちろんお土産は、こちらも100年近い歴史を持つ「崎陽軒」のシウマイを。家に持ち帰り温めていただくまでが「横浜港の歴史の旅」のうちではないでしょうか。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
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