43歳を迎えた成田空港 開港までの激動の歴史 当初計画は面積2倍、「成田」でもなかった

開港直前に起こった大事件 到着初便は?

 そして運輸省は、1977(昭和52)年11月15日、新東京国際空港の開港日を1978(昭和53)年3月30日とし、世界民間航空向けの開港通知や空港事務所の開設、東京湾岸道路の東京方面から幕張までの開通、航空燃料の備蓄など、開港に向けた最終準備を進めます。

 一方、空港反対を叫ぶ過激派の活動は、まさにピークを迎えつつありました。1978(昭和53)年3月26日には、管制塔の16階が反対派によって占拠される事件が発生。屋上に退避した管制官の映像が流されるなど、ショッキングな映像がメディアによって報じられました。この事件で一部の管制機器が破壊されたこともあり、改めて開港日を5月20日に設定。ただし、一層警備体制の強化が図られることとなりました。このときの名残りのひとつとして、同空港に立ち入る際に検問が実施されており、これは2015(平成27)年まで続きました。

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3本並ぶ塔の真ん中が初期の新東京国際空港管制塔。その後はランプコントロールとして使われ、2021年から取り壊しが始まった(乗りものニュース編集部撮影)。

 こうして新東京国際空港は1978(昭和53)年5月20日、ついに日本の空の表玄関として開港しましたが、この日は式典のみで、シップ(航空機)の発着は設定されていませんでした。

 21日に到着一番機が飛来。JAL(日本航空)の貨物機で、ダグラスDC-8-62F型で運航されたロサンゼルス発アンカレジ経由のJL47便でした。旅客機の一番機は、フランクフルト発モスクワ経由のJAL446便、こちらもDC-8でした。成田空港の出発一番機は、21日に大韓航空の貨物便で、旅客便の初便は翌22日、サイパン経由グアム行きのJAL947便と記録されています。

 ただ厳密にいうと、成田空港を使用した飛行機の一番機は、航空局の空港機能を確認するためのフライトチェッカー機であり、国産ターボプロップ機のYS-11が担当しています。また供用開始の前年となる、1977年8月7日には、「ジャンボジェット」ことボーイング747が、騒音調査のためのテスト飛行をしています。

 ちなみに、成田国際空港のA滑走路の南端にある航空科学博物館の隣接地に「成田空港 空と大地の歴史館」という施設があります。ここでは、成田空港の開設に関わる事柄を垣間見ることができます。

【了】

【デカすぎ…】新東京国際空港初期の計画案

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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コメント

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1件のコメント

  1. 成田空港の建設についての事件はもっとたくさんあるし、歴史を語るのに芝山町のことが一言も書いてないことがおかしい。書くならばもっと詳しく書くべきだと思います。