「駆逐艦、おまかせで輸出たのむ」フランス大海軍の要請 100年前の日本どう応えた?

フランスが日本製軍艦を欲しがったワケ

 1914(大正3)年7月、第1次世界大戦の火の手が上がりました。日本は同大戦にやや遅れて参戦しましたが、主戦場はヨーロッパ方面だったので、戦争への関与は限定的でした。

 ところが、国境を接して死闘を繰り広げていたフランスとドイツ、特に前者は、ドイツ軍に国土を蹂躙されるまでに至っていました。このような厳しい戦況に置かれたフランスでは、大砲や銃火器、航空機など陸戦で用いられて消耗する兵器の生産が優先され、造り上げるのに時間と手間がかかる軍艦の建造は二の次にされていました。

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フランスのアラブ級駆逐艦の原型となった旧日本海軍の樺型駆逐艦。写真は2番艦の「榊」(画像:アメリカ海軍)。

 しかし戦時下である以上、軍艦の増備は喫緊の問題です。そこで“ラ・ロワイヤル”の通称で知られる伝統あるフランス海軍は、「艦隊のワークホース」と呼ばれてさまざまな任務に対応できる反面、戦闘による損失も生じやすい駆逐艦、それも外洋での行動が可能な航洋型駆逐艦を、同じ連合国ながら戦地から遠く、工業生産に悪影響が生じていない日本に発注したのです。

 この発注に際して、フランス側は、特に設計図を用意するとか構造上の希望を伝えてくるようなことはほとんどせず、日本側におまかせという姿勢を示しました。

 その理由は、当時の旧日本海軍にとって「師匠」の立場であり、フランスとは英仏海峡(ドーバー海峡)を挟んでの「お向かいさん」同士で親密な関係にあったイギリスの海軍から、日本の造船能力のレベルと海軍力の質の高さを聞き及んでいたことに加えて、できるだけ早く「数を揃えたかった」からです。つまり、日本側が造りやすい艦でよいので急いで「納品」してほしいという、切羽詰まった事情があったからでした。

【写真】艦名が不明な地中海に派遣された樺型駆逐艦

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コメント

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1件のコメント

  1. インドネシア相手だと踏み倒されそうだな