敵艦も味方艦も日本製! レアケースに見舞われた戦前の輸出艦「寧海」「平海」の顛末
戦前の日本、実は海外から軍艦の建造などを請け負っていました。しかも大口顧客は中華民国。のちに両国は戦火を交えることになりますが、その歴史の渦に巻き込まれたのが、日本生まれの中華民国艦、「寧海」と「平海」の姉妹艦でした。
日本の「フネ」は売れるのか
オーストラリアの次期潜水艦選定にそうりゅう型潜水艦が手を挙げ、昨年(2019年)フランスとの競争に敗れたのは記憶に新しい所です。日本の工業製品は高品質で定評があり、日本製防衛装備もニーズは高いといわれますが、競争の激しい国際市場にどこまで切り込めるかは未知数です。
一方、戦前の日本は発展途上国であり、自国の兵器調達にも汲々としていたようなイメージがありますが、以外にも少なくない艦艇が輸出されていました。
戦前の日本艦艇輸出事情
大口顧客のひとつだったのがシャム王国、現在のタイでした。2000トン級のトンブリ級海防戦艦2隻、1400トン級のメクロン級スループ艦2隻、マッチャーヌ級潜水艦4隻が輸出されています。これは戦前戦後を通じて日本が潜水艦を輸出した唯一のケースです。
ちなみにタイは艦艇以外にも日本から小火器、戦車、航空機を輸入しています。いくつかは2020年現在まで保存されており、日本にも存在しない貴重な個体も見られます。「メクロン」は1973(昭和48)年の除籍後、保存展示されており、戦前日本が建造した艦艇で現在も原形を留める貴重な存在となっています。国立空軍博物館には世界で唯一現存する九九式高等練習機が、陸軍には稼働する九五式軽戦車も保管されています。
意外なことに、ヨーロッパ列強にも顧客が居ました。第1次大戦で造船力が不足したフランスが、1917(大正6)年にアラブ級駆逐艦を12隻という大量注文を出しています。
そして、最大の顧客が中国でした。清朝時代から取り引きが始まり、国民党政府の中華民国からも発注を受けていました。当時の中国は大陸国家で海洋には目を向けていませんでしたが、国内には大河川があり艦艇のニーズはあったのです。
輸出されたのは基準排水量1000トン未満の河川砲艦 江元級4隻、楚泰級6隻、永翔級2隻、基準排水量2500トンの巡洋艦 寧海(ニンハイ)級2隻でした。これらの艦艇は、のちに日本軍と砲火を交えたり、捕獲されて日本軍で再使用されたりと、数奇な運命を辿ったものも少なくありません。
>>戦前の日本は発展途上国であり、自国の兵器調達にも汲々としていたようなイメージがありますが
戦前というのは具体的に何年の事を言っているのかはわかりませんが、寧海と平海が建造された20年ほど前にはすでに日本は列強になっていたので、少なくとも発展途上国という表現はおかしいです。
表現や解釈の違いという問題ではなく明らかに事実と異なっていると思います。
工業生産力では結局、終戦まで欧米の足元にも及ばないレベルでした。だから負けたのです。”立派な”発展途上国です。