「駆逐艦、おまかせで輸出たのむ」フランス大海軍の要請 100年前の日本どう応えた?

頑張ってフランスに認められたい!

 当時の日本には、ごく簡単にいってしまうと、国際社会における先進諸国との付き合いに際して、アジアの新興国、言い換えるのなら「アジアの成り上がり国」と思われることなく、早く「一人前の先進国」として認められたいという思いがありました。そこで、あれやこれやガタガタといってこないフランスに対して、誠心誠意の対応を示そうとしました。

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アラブ級駆逐艦の7番艦「マロケン」(画像:アメリカ海軍)。

 とはいえ、最高のフネを納めようと一から設計していたのでは間に合いません。そこで、第1次世界大戦の勃発で、急に航洋型駆逐艦が多数必要になった旧日本海軍が設計・建造した、当時最新鋭の「樺」型駆逐艦をベースに建造することにしたのです。実際には、構造的にやや強化され、兵装に若干の相違があるだけで、ほとんど「樺」型に準じていました。

 こうして造られたフランス向けの駆逐艦は、アラブ級、あるいは1番艦の艦名にちなんでアルジェリアン級、または、各艦の艦名がフランスの海外領土に住む民族名にちなんでいたことから民族(トライバル)級と称され、12隻が建造されました。ちなみに旧日本海軍向けの「樺」型の建造隻数が10隻だったので、派生型のアラブ級の方が多かったのです。

 建造命令は1916(大正5)年に発令され、翌1917(大正6)年からスタート、全艦が同1917年中に竣工しています。こうして建造された12隻は、いったん旧日本海軍籍が与えられ、「仏国第1番駆逐艦」から「仏国第12番駆逐艦」の仮艦名が付与されたのち、当時イギリスの植民地であったエジプトのポートサイドまで回航され、同年中に全艦がフランス海軍に引き渡されました。

【写真】艦名が不明な地中海に派遣された樺型駆逐艦

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コメント

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1件のコメント

  1. インドネシア相手だと踏み倒されそうだな