旧ソ連の「米ダグラスそっくり機」列伝 始まりはソ連版DC-3 共産圏の独自設計機たち
日本では馴染みは薄いものの、実は自国で旅客機を多数生み出す「航空大国」だった旧ソ連。なかには、米の名門、ダグラス社の旅客機に瓜二つのものが存在します。ソ連製DC-3完成から、その後のそっくり機誕生の経緯までを見ていきます。
ダグラスDC-3は海外で生産されたものも
旅客機といえば、アメリカのボーイング社、ヨーロッパのエアバス社といったように、欧米諸国のメーカーが主導権を握っているというのが、日本国内においては長年の認識といえるでしょう。ただ「日本への飛来数」となれば、欧米勢には及びませんが、現在のロシア、旧ソビエト連邦も、多くの旅客機を生み出している航空大国のひとつでした。
航空界では、同じエンジンなどの推力発生装置(出力が近い場合も含む)、同じ飛行速度、同じ搭乗人数、同じ飛行距離を目標として設計すると似た機体になる――なんてことも一部では言われています。戦後、次々にデビューしたソ連の旅客機もこの例に漏れませんでした。
そしてことの始まりは、かつて存在したアメリカの名門メーカーだったダグラス社(現ボーイング社の一部)のプロペラ機、DC-3でした。以降、ソ連はダグラス社の旅客機とそっくりな飛行機を次々に生み出していくのです。
ダグラスDC-3は同社でもっとも売れたプロペラ旅客機で、「第2次世界大戦前の飛行機として1万機以上生産された」として広く知られています。だた、これにはウラがあります。
実は、ダグラス社がDC-3として新造したものは607機に過ぎず、軍用型として1万174機製造されたC-47が、戦後民間に放出され、DC-3として登録されました。このなかには戦後にANA(全日空)が使用した機材も含まれます。つまり、DC-3の大半は、軍用出身ということになります。
そして、DC-3の話は、ここで終わりません。この機は、本国アメリカ以外の国でも、生産されているのです。製造権を購入しそれぞれの国で生産する「ライセンス生産」というもので、日本でも、昭和飛行機にて1940年代に416製造され、旧日本海軍で使用されました。
そして、旧ソ連でもDC-3が製造され、それがソ連産「DC-3そっくり機」へと発展するのです。
Li-2は大韓航空ジャンボジェット撃墜事件のとき、日本のTV局のレポート中に威嚇するが如く低空をフライパスしていたのが印象深い。
そういう機体があったことは何かで聞いていたが稼働していたのに驚いた。