旧ソ連の「米ダグラスそっくり機」列伝 始まりはソ連版DC-3 共産圏の独自設計機たち
ある意味そっくり機伝説の始まり? ソ連産「DC-3」
ソ連での「DC-3」は、ダグラス社に派遣された経験があった技術者のボリス・パヴロヴィッチ・リスノフが、正式にダグラス社から製造権利を取得して製造することとなりました。ただ、ソ連の飛行場や気候に合わせるため、1000以上の設計変更が必要だったそうで、ソ連版DC-3は「Li-2」という名称が与えられました。Li-2は5000機近くが製造され、おもに軍用輸送用として使われたほか、アエロフロートで旅客便としても導入されました。
このハナシがこれだけで終わらないところが、さすがのソ連です。具体的な関係性についてはなんともいえないところがありますが、以降ダグラス機によく似た旅客機が生み出されることになるのです。
同国のイリューシン設計局では、1957(昭和32)年、4発プロペラ機のIl-18をデビューさせます。この機は、同局独自設計で、欧米における航空路線の長距離化に対応するために開発されたエンジン4発を装備する機体です。
このIl-18は、1950(昭和25)年に初飛行し1348機製造された双発プロペラ機、Il-14の後継として開発されました。Il-14は、DC-3やLi-2の後継機種として、ソ連圏のブルガリアやチェコだけでなく中国や北朝鮮でも使用されました。Il-18はIl-14のエンジンを増やし、大型化したようなイメージなのですが、その様子はまさに、ダグラスが開発した「DC-4」や「DC-6」と瓜二つなのです。
Li-2は大韓航空ジャンボジェット撃墜事件のとき、日本のTV局のレポート中に威嚇するが如く低空をフライパスしていたのが印象深い。
そういう機体があったことは何かで聞いていたが稼働していたのに驚いた。