世界一のブッ飛びミニカー「ホットウィール」はなぜ世界を制したか 改造車文化を手のひらに
書き換えられたミニカーの勢力地図
1969(昭和44)年のお正月を迎える頃には、世界のミニカー、とりわけ3インチ・ミニカーの勢力地図は完全に書き換えられていました。無論マッチボックスも指をくわえて傍観していたわけではありません。ホットウィールのコンセプトに追随すべく、ホイールを改造し、車種やペイントの見直しで対抗しました。
しかしこれがむしろ、自ら培ってきた比類なき伝統との永遠の訣別になるとは想いもしなかったでしょう。保守的ではあったものの、それゆえに愛されていたマッチボックス。悲しいことに、これを機に多くの正統派の自動車愛好家はマッチボックスから離れただけでなく、この後の数年でヨーロッパのミニカー市場は完全に凋落してしまうのです。
ホットウィール以前、マッチボックス以外にもイギリス~ヨーロッパには数多くのミニカー・ブランドがあり、それぞれがお国柄を映して個性的な製品作りに邁進、収集家はそれらの味わいを楽しんでいました。ホットウィールが登場した後の約10年で、そうした趣味世界のあり方は全く変容してしまいました。それが再び蘇生していくのは1990年代初頭のことです。
それほど大きな影響をミニカー市場に与えたマテルのホットウィール。しかしホットウィールとて、現在に至る50余年間ずっと順風満帆だったわけではありません。ただひとつ、彼らが荒波を生き抜くことができた最も大きな理由は、先に触れた「ホットロッド」や「カスタム」といった精神的支柱が当初から現在に到るまで根底にあるからです。ひと言で説明するのは簡単ではありませんが、言い換えれば、常にクルマを憧憬の対象として捉え、新車ばかりを追うのではなく、巧みに題材を選び、絶えず移りゆく流行を意識してミニカー・デザインの中に落とし込んでいく。ホイール、ペイント、車高のバランス、グラフィック……。
開発チームのデザイナーはいずれ劣らぬカー・ガイ揃いであり、彼らは小さなミニカーと本気で向かい合い、ホットロッドやカスタムを手のひらサイズで再現しているというわけです。それらの結晶がホットウィールであり、いまだ熱く支持される比類なき個性の源だと言えるでしょう。
【了】
Writer: ヤマダマ(編集者)
雑誌やWEBの記事を書いたり編集したり。趣味はオープンカーで田舎道を走ること。モータースポーツの歴史や欧米のモーターカルチャーが好き。
コメント