高松駅「連絡船うどん」閉店 消えゆく「宇高連絡船のうどん」の記憶 うどんダッシュって?

全盛期は2店で1日5000杯!連絡船うどんに負けない改札内うどんの歴史

 1988(昭和63)年に瀬戸大橋が開通するまで、鉄道と連絡船の乗り換えが発生した高松~宇野間では、連絡船の船上以外にも、高松駅で2軒、宇野駅で1軒の立ち食いうどん店舗が営業しており、どのタイミングでもうどんにありつける環境でした。

 そのうち高松駅では、1952(昭和27)年、連絡船乗り場の手前にあった「高松桟橋駅」(高松駅構内扱いの乗降所。1959年に高松駅に統合)で、早朝と深夜のみ営業するうどん店が開業、その後1963(昭和38)年には高松駅3番ホームに常設の立ち食い店舗が登場しています。高松駅弁(現在は会社清算)と鉄道弘済会が営業していた両店舗は、ピーク時に合計で1日約5000杯が販売されていたそうです。

 一方、連絡船上のうどん店は1969(昭和44)年開業で、高松駅の改札内より後発です。ただ、この店に麺を卸していた店舗は、それぞれ「ぶっかけうどん発祥の店」や、香川県のうどんが全国で知られる前から地元タウン誌で推されていた店など、高松市内でも名の通った店でした。

 しかし船上には本格的な調理設備がなく、当時は冷凍麺の技術も発達していません。半生の状態で片道1時間の連絡船に積み込むとなると、特に復路では麺は伸び、ダシは煮詰まってしまいます。船上のうどん店の運営元である高松駅弁も、のちに宇野側からの積み込みを行うなど改善を模索していたものの、やはり船上では不利な条件も多かったのではないでしょうか。

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「連絡船うどん」の外観には、かつての宇高連絡船の写真が掲げられている(宮武和多哉撮影)。

 昭和末期には、国鉄の経営改革の一環で、船から鉄道への乗り継ぎ時間が大幅に削られ、高松駅改札内でのうどん店は短期間で売り上げが半減。瀬戸大橋開通後は高松駅弁が運営する1店のみになってしまいます。そうしたなか高松駅弁は、前出の通り“連絡船のうどん”を懐かしむ声を取り入れ、駅構内のうどん店を「連絡船うどん」へリニューアルしたのです。

 その後、2014(平成26)年に高松駅弁が会社清算を余儀なくされたことで、店舗はJR四国系列のうどんチェーン店「めりけんや」に引き継がれ現在に至ります。なお、「めりけんや」はこのほかにも高松駅周辺に2店舗を構えており、「連絡船うどん」では、閉店発表後にその周辺店舗のクーポンを配るなどしています。

【まもなく閉店】「連絡船うどん」を写真で見る

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