高松駅「連絡船うどん」閉店 消えゆく「宇高連絡船のうどん」の記憶 うどんダッシュって?
連絡船は“特別な時“? 船上のうどんが思い出に残りやすいワケ
かつての”連絡船のうどん”は、味の管理や営業上で不利な条件を抱えていたにもかかわらず、いまも不思議なほど多くの人々に語り継がれています。食べながら眺める瀬戸内の絶景や、イリコの香りが特徴的なダシなどははとても印象に残るものですが、同時に香川県民をはじめ四国の人々にとって、連絡船への思い入れの強さも関係しているからではないでしょうか。
高松~宇野間には手堅い通勤・通学需要もあり、「四国フェリー」や「宇高国道フェリー」などの民間航路も運航されていました。国鉄の宇高連絡船はJR四国に引き継がれ、瀬戸大橋開通後もしばらく存続したものの、通勤・通学客は大半が民間事業者に流れ、末期には宇高連絡船の定期券利用者は20人程度になっていました。この頃に宇高連絡船を利用する人は、遠方への旅行・出張や、上京などで四国を離れるなど、特別な事情を持っていたケースが少なくなかったようです。
なかには、若き日に愛媛県から上京した劇作家の鴻上尚史さんのように「自分はこれから東京で戦うんだ」と念じながら船上でうどんをすすっていた、という人も。連絡船への乗船そのものが人生のイベントと重なり、桟橋でも船上でもそのような人々をよく見かける中で食べた“連絡船のうどん”は、連絡船の記憶ともども印象に残りやすいのかもしれません。
宇高連絡船と”連絡船のうどん”が姿を消して30年が経ち、間もなく「連絡船うどん」も消えようとしています。かつて船にうどん玉を卸していた店舗も現在ではすべて現存せず、2018年に「中浦製麺」が閉業した際には、多くの人々が“連絡船のうどん“を改めて思い出すきっかけにもなりました。いまに“当時の系譜”が伝わっているとすれば、2012(平成22)年に全店閉鎖した「かな泉」で修行された方の店舗が県内に多く残っている(おか泉、うどん喫茶スタートなど)ことくらいでしょうか。
間もなく閉店を迎えつつある「連絡船うどん」ですが、駅ビル建設や再開発後に復活することも考えられなくはありません。しばしの別れとなるか、永遠の別れとなるか、当時を知る人は「連絡船うどん」の一杯をすすりつつ、かつての記憶を呼び覚ましてみてはいかがでしょうか。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
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