真珠湾攻撃 アメリカは「自衛権」をいつ発動できる? 歴史のIF 国会での議論の顛末

国家が自国を守るために他国へ武力を行使する権利、すなわち「自衛権」はどういうタイミングで発動できるのでしょうか。これについて、かつて日本の国会で真珠湾攻撃を例に議論されたことがありました。その顛末を解説します。

国会で繰り広げられた真珠湾攻撃の「もしも」

 1941(昭和16)年12月8日(日本時間)、アメリカ太平洋艦隊の根拠地であるハワイ諸島オアフ島の真珠湾を日本海軍の空母機動部隊が奇襲攻撃しました。これによって、以降3年9か月にわたる太平洋戦争の幕が切って落とされることになります。

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1941年12月8日(日本時間)、日本軍は米軍の軍事拠点であるハワイ 真珠湾を攻撃。太平洋戦争の火蓋が切って落とされた(画像:アメリカ国立公文書記録管理局)。

 この真珠湾攻撃を含む太平洋戦争に関しては、「もしもあの時〇〇だったら……」ということを描く、いわゆる「架空戦記」がいくつも生み出されてきました。しかし、真珠湾攻撃に関しては「もしもあの時〇〇だったら……」という議論が国会においても繰り広げられていたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。

 発端となったのは、1970(昭和45)年2月26日の衆議院予算委員会において行われた、「国会の爆弾男」の異名をもつ社会党(当時)の楢崎弥之助議員と日本政府とのあいだにおける議論です。このとき楢崎議員は真珠湾攻撃を「(1)機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ」という暗号電文が発せられた時」「(2)艦載機が空母を発艦し、公海上を飛行している時」「(3)艦載機がオアフ島上空に襲来した時」という3つの時点に分け、このうちのどの時点でアメリカが自衛権を行使できると考えられるか、と日本政府に対して質問したのです。

【写真】真珠湾に入港する「はくりゅう」

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