旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」が初飛行-1942.12.27 大戦後は零戦並みに有名へ

メジャー機への端緒は四国・松山での勇戦

 では、機数的には大したことのない「紫電改」が、旧日本軍の戦闘機のなかでは比較的、有名な理由。それは四国・松山基地に編成された第三四三海軍航空隊での勇戦があったからだといえるでしょう。

 新鋭機と優秀なパイロットをそろえた飛行隊として、敵であるアメリカ軍にも注目された同飛行隊は、戦後、映画やマンガで数多く描かれました。

 それらにより、旧日本海軍機としては零戦(ゼロ戦)に比肩するほどの知名度を得るようになったようです。なお、1960年代以降には育毛剤の名前としても用いられています。

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太平洋戦争中、撮影された旧日本海軍の「紫電改」こと「紫電」二一型(画像:アメリカ空軍)。

 現存機は日本に1機、アメリカに3機あります。なお、原型となった「紫電」は、「紫電改」の倍以上となる1000機以上が製造されたものの、現存は1機もありません。

 ちなみに、このほかにも実物大模型1機が日本国内で造られ、2019年6月以降、兵庫県加西市において展示されています。

【了】

【レストア中の様子も】アメリカ空軍所有の「紫電改」を一挙見

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コメント

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3件のコメント

  1. なぜその名前をつけたかわかりませんが頭皮用ローションにそんな名のが…叱られなかったんですかね…

  2. 写真は太平洋戦争中ではないでしょう。星のマークがついてますよ

  3. 冒頭から恥ずかしい。 昭和17年12月の初飛行は誤り。 この日は紫電11型が初飛行したときで、紫電改の初飛行は昭和19年になってから。