旧陸軍一〇〇式重爆撃機「呑龍」の誤算 計画上は護衛機いらずの最強爆撃機 実際は…?

初期段階の計画書は夢のようなプランが書いてあることはよくあります。一〇〇式重爆撃機「呑龍」も当初はこれに応えるべく開発が開始されました。ある部分では応えられるも、全体的に見ると優れているとはいいにくいものでした。

「呑龍」が目指したものは「護衛機を必要としない高速重武装爆撃機」

 旧日本陸軍が運用した爆撃機といえば、第2次世界大戦中を通して数の上では主力爆撃機だった九七式重爆撃機や、「飛竜」という愛称で大戦後期に量産化した四式重爆撃機などがありますが、どうしても旧海軍の一式陸上攻撃機といった陸上攻撃機の印象が強く影に隠れがちです。

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旧陸軍の一〇〇式重爆撃機「呑龍」(画像:Yanagi774/Public domain)。

 そしてその陸軍爆撃機のなかでもさらに影の薄い爆撃機があります。前記した九七式重爆の後継機として開発され、「呑龍」の愛称をつけられた「一〇〇式重爆撃機」です。現在でこそ影が薄いですが、元々は日本陸軍の野心的な戦法の実現のため、開発された爆撃機でした。

 一〇〇式重爆撃機は元々対ソ連戦、つまり大陸で運用することを想定して、1938(昭和13)年に中島飛行機が陸軍に命じられ開発を始めた爆撃機です。その性能指示は、戦闘機を引き離す500km/h超の高速と、新開発の20mm機関砲の搭載や尾部機関銃など防御火器の充実、さらに航続距離3000kmという長大な航続距離を合わせ持つという、高速かつ超重武装を要求するものでした。

 高速性と重武装を両立させることになると、当然、爆弾の搭載量は限られてしまうのですが、陸軍の要求は1000kg程度とあったため、同機は爆撃機でありながら爆弾倉を持たず、かわりに燃料タンクなどを守る防弾装備を重視しました。

【写真】南の島へ配備された「呑龍」

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