地方のバスターミナルなぜ駅と離れてる? 昭和レトロな"街の顔”…復権へ再開発も

地方で展開された「ミニ阪急」モデル

 1950年代に高度経済成長が始まると、通勤通学の需要が急増します。路線バスの年間輸送人員は1970年頃まで100億人前後を維持し(現在は約40億人)、「バスの黄金時代」を迎えました。それを受け、地方都市でバスターミナルが多く建設されました。

 戦前には、阪急電鉄が、沿線の開発や駅併設の百貨店と鉄道事業を組み合わせる「日本型私鉄経営モデル」を構築済みでした。多くのバス事業者も、「ミニ阪急」を目指し、各地のバスターミナルも、百貨店や総合スーパーを併設して開業しました。ただし、細かく見ると、立地や形態にいくつかのパターンが見られます。

 まず、現在の人口にして50万人クラス以上の比較的大きい都市では、旧城下町から発展した中心市街地に立地するケースが目立ちます。中心市街地の規模が大きく求心力が大きいうえ、複数の路線バス事業者が併存する都市が多いからです。

 こうした都市では、中心市街地に各社の停留所がバラバラに設置され、不便なうえ、折り返し車両の路上待機が渋滞の原因になっていました。そこで半官半民の会社を作り公有地にバスターミナルがつくられます。広島バスセンター、熊本交通センター(現・熊本桜町バスターミナル)などがこのパターンです。いずれも、百貨店を併設し、後者にはホテルやボーリング場もありました。

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広島バスセンター。広島駅と離れた市街中心部に位置する(画像:写真AC)。

 一方、老舗百貨店がターミナルを建設し、バス路線を誘致した例もあります。天満屋バスセンター(岡山市)、山形屋バスセンター(鹿児島市)です。阪急電鉄が自社のターミナル駅に百貨店を設けたのとは逆に、百貨店が集客の一環として路線バスを招いたのです。

 “中心市街地派”の都市では、駅と中心市街地が離れており、その区間が通勤通学、買い物客らで「ドル箱バス路線」にもなりました。仮に市街地の西側に駅があるなら、西側の隣町や郡部から来る路線は駅経由でバスターミナルが終点。東側から来るバスはバスターミナルを経由して駅付近が終点。そうすることで駅~バスターミナル間は相当な便数が運行することになりました。

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コメント

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2件のコメント

  1. 調べたところ盛岡は廃止ではなく、建替
    長野は駅周辺への移転増加のようです。
    あたかも都市の魅力不足で廃止になったかのような書きぶりはフェイクニュースではないでしょうか。

  2. 了様、成定様ありがとうございます。熊本や広島などがいわゆる「ミニ阪急」と言われる阪急電車のマネをするのは、大阪(市)の奴隷やみたいなものでありますから大阪に準じた文化をマネしているだけですよ。西日本の地方都市は大阪の傘下や部下、奴隷みたいな都市が多いので、大阪の真似が結構多いみたいです。だが、意外にも東日本の地方都市は意外にも東京の真似をしてる地方都市はあまり見ないようです。ただ、これに関わらず名古屋、福岡、札幌、那覇といった大都市は歴史上や文化的な関係性があるせいか、他の都市の影響を受けずに独自性が強い、いわゆる独りよがり見たいな感じでもありますし、近辺都市を奴隷傘下にしているぐらいでもあります。熊本も所詮大阪だけでなく、福岡の奴隷傘下でもありますからね。