「ホンダジェット」より先に成功した日の丸ビジネス機とは 三菱のユニーク機「MU-2」

MU-2は米でどう苦労? ホンダジェット成功の理由とも関係?

 日本の航空機をアメリカ国内で販売する場合、様々な制約が課せられます。直輸入の場合、機体部品の構成比率に制限があり、アメリカで組み立てたものはアメリカ製とする、というのがその一例です。

 MU-2ではその規制を突破しようと、当初は三菱重工名古屋工場で組み立て前の状態まで製造し、アメリカのメーカーに組み立てと塗装を依頼することで、アメリカ製品として販売していました。

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ホンダジェット エリートS(画像:ホンダ エアクラフト カンパニー)。

 その後、アメリカ国内での販売は好調だったものの、最終組み立てと販売を行ったメーカーがつぶれてしまいます。そこで、アメリカに三菱重工の子会社を設立し、最終組み立ての上、販売することにしたのですが、ここで使用部品の割合が引っかかってしまい、アメリカ製部品を調達する必要が生じ、同社の社員さんは価格の面で非常に苦労されたようです。そうなると、「ホンダジェット」がアメリカに本拠を構えたのは、もしかするとそういった教訓を生かしたのかも――などと勘ぐってしまいます。

 前出の通り日本でMU-2の運用はほとんど終わっていますが、特にアメリカではMU-2の愛好者が今でもいるようで、三菱重工はサポート体制を維持しています。

 ただ一方で、高速機をねらいつつ操縦性能もよいがゆえに、操縦に関しては少し独特なようで、事故も報告されています。メーカーでもその辺りには注意を注いでおり、サポート体制の一環として、MU-2への機種変更におけるマニュアルが存在するとか。

 プロに愛され“ホット・ロッド”とも称されたMU-2は、2022年現在、国内の博物館などでその魅力の一端である外形を窺い知ることができます。

【了】

【写真特集】ホテル! 世界一豪華なビジネスジェットの機内+いろんなMU-2

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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