最後の「タスキーギ・エアメン」逝去 米国初の黒人パイロット集団 差別に実力で打ち勝つ
アメリカ史上初の黒人パイロット集団「タスキーギ・エアメン」の最後の飛行士が2022年1月に亡くなりました。有色人種への差別や偏見が激しいなか、パイロットを目指し、戦闘機乗りとして武勲を挙げた彼らの足跡をたどります。
タスキーギ・エアメン最後の飛行士が天国へ
2022年1月16日、第2次世界大戦で戦ったある黒人パイロットの死が、アメリカのみならず世界的なニュースとなりました。彼の名はチャールズ・エドワード・マクギ―、享年102歳。1919(大正8)年12月7日にオハイオ州クリーブランドで生まれた彼の死がなぜここまで大きなニュースになるのかというと、それは彼の所属していた部隊が大きく関わっています。
チャールズ・エドワード・マクギ―が所属したのは、アメリカ陸軍航空軍の第332戦闘グループ、通称「レッドテール・エンジェルス」。この部隊はアメリカ史上初となる黒人だけで編成された戦闘機部隊で、人種差別を受けながらも祖国のために戦い、戦後、有色人種の地位向上に貢献したとして歴史に名を刻むアメリカでは有名な部隊です。
その最後の生存者がこの世を去ったということでニュースになったのです。そこで改めてこの偉業について、そして、なぜ黒人パイロットたちが「タスキーギ・エアメン」と呼ばれたのかについてひも解いてみましょう。
第2次世界大戦中、アメリカのボーイングB-17「フライングフォートレス」やコンソリデーテッドB-24「リベレーター」といった4発重爆撃機の大部隊が、イギリス本土や北アフリカから、ドイツやイタリアの爆撃目標に向け、連日出撃していました。しかし、ドイツもメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190といった戦闘機を投入して迎撃。アメリカ重爆部隊の損害も少なくはありませんでした。
「コンバット・ボックス」と呼ばれる防御編隊を組んで必死に防戦していても、突っ込んでくるドイツ戦闘機にやられて次々と落ちて行くB-17やB-24。その苦しい戦いの最中、地中海方面において、幾度となく救援に駆けつけ、ドイツ機の猛攻を防いでくれたのが、尾翼を深紅に塗ったノースアメリカンP-51マスタングの編隊でした。
その塗装にちなんで「レッドテール・エンジェルス」の愛称で呼ばれた彼らこそ、当時、激しく差別されていたアフリカ系アメリカ人、いわゆる黒人の陸軍パイロットで編成された「タスキーギ・エアメン」だったのです。
コメント