最後の「タスキーギ・エアメン」逝去 米国初の黒人パイロット集団 差別に実力で打ち勝つ

アラバマに史上初の黒人パイロット養成コース開設

 第2次世界大戦勃発以前のアメリカは、白人同士でもプロテスタントかカトリックか、はたまたイタリア系やアイルランド系かなどと、キリスト教の宗派や出身国によって厳格に区別されたほど、激しい人種差別がありました。そのため、白人以外の有色人種が差別されるのは当然で、特に歴史的に奴隷として強制的にアメリカへ連れてこられたアフリカ系、すなわち黒人に対する差別は激しいものでした。

 このような差別はアメリカ陸軍でも同じで、南北戦争時代からの歴史的背景を持つごく少数の戦闘部隊を除くと、黒人を第一線の戦闘員として組織することは行っておらず、わずかに兵站部隊(補給部隊)や重砲部隊のような肉体的重労働が中心の兵科(職種)でのみ、「人種隔離部隊」という呼び名で編成されていた程度だったのです。なお、海軍では黒人は厨房員や従兵、洗濯係のような雑役要員としてのみ艦船や部隊に配置されている状況でした。

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1941年、タスキーギ大学に設けられた最初の黒人パイロット養成クラスを視察するジェームズ・A・エリソン少佐(当時)。後方はバルティーBT-13練習機(画像:アメリカ空軍)。

 このようななか、第2次世界大戦が勃発する直前の1939(昭和14)年上旬、一部の黒人差別反対派議員らの活動により、アメリカ議会で陸軍の黒人パイロット養成計画に予算が付きます。そして、アラバマ州タスキ―ギに所在する黒人大学のタスキーギ大学に、史上初となる黒人パイロットの養成課程が開設されました。

 これは、それまでのアメリカ国内の状況を鑑みると極めて画期的なことでした。とはいえ、この課程に入るには、白人がパイロットを志す場合とは比較にならないほど多くの試験に通らねばならず、それらの中には知能指数の検査まで含まれていたといいます。

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