姉妹艦なき軽巡洋艦「夕張」進水-1923.3.5 世界を驚かせた技術は後輩艦へ
「夕張」が遺したもの
太平洋戦争では真珠湾攻撃と同時に、「夕張」は第六水雷戦隊の旗艦として、駆逐艦などを従えて中部太平洋のウェーク島を攻撃。アメリカ軍との激戦の末、ここを占領します。翌1942(昭和17)年にかけて、西太平洋のトラック島やパプアニューギニアのラバウルなどへ赴きました。
勝敗の転換点とされる6月のミッドウェー海戦に旧日本海軍が敗北した後も、ガダルカナル島攻略など南方作戦に従事。しかし、徐々に制海権がアメリカ側に掌握されていくなか、1943(昭和18)年7月には「夕張」も、ソロモン諸島の近海で機雷に接触。致命傷とはなりませんでしたが、横須賀でおよそ2か月間の修理を受けています。
復帰後は再びラバウルへ出撃。主に物資の輸送任務に従事しました。この任務は翌1944(昭和19)年も引き続き行われます。
そのようななか4月27日、サイパン、パラオと移動中に、「夕張」はソンソロール島の近海で、アメリカ軍の潜水艦による雷撃を受けます。3本の魚雷が命中し大規模な浸水を生じると、「夕張」は航行不能に陥りました。
駆逐艦による曳航を試みるも、浸水が増大していた「夕張」は翌28日に沈没。姉妹艦のない軽巡洋艦でしたが、塔型艦橋や誘導煙突、2基の主砲塔に高低差をつける、いわゆる背負式配置などは、後に誕生した駆逐艦や巡洋艦に受け継がれています。
【了】
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