「イモムシ電車」が地下を走行!? 「東急新玉川線」建設時に浮上した幻の「玉電地下化計画」
結局「廃止」になるまでの紆余曲折
地下化の提案に公団は「事が大きすぎる」と難色を示します。代わりに公団は、「玉川線をいったん道路端の仮線に移設する」という計画を提案します。この提案に首都圏整備委員会や建設大臣も賛同。東急は建設省に直談判するなどしましたが、結局この平面移設案で進むことになりました。
この平面移設案は、両側の歩道を削って車道スペースを確保し、道路中央を走っている電車を、地下線と高架橋脚の工事進捗にあわせて仮移設していくというものです。
その平面移設案で施工計画を調整していくと、東急が懸念していたとおり、あちこちで支障が生まれることが判明します。まず車道の幅が十分に取れない場所があり、池尻と三宿で出入口の設置が困難となるうえ、三軒茶屋では道路の立体交差の建設ができず、工期も長くなってしまうことなどです。東急はこの時点でも地下化を再提案していましたが、工期や建設費用の面で課題があるのは同じでした。
1969(昭和44)年8月、玉川線の措置は、けっきょく公団の最初の提案である「バス代行」に決定。東急はこの案をのむ条件として、「玉川線全線と砧線(二子玉川~砧本村)を廃止し、世田谷線は残す」「バス代行への準備期間は半年」「渋谷駅の東口の旧都電のりばを東急バスが使う」などを求め、認められました。さらに、軌道施設の撤去などのため、公団が補償金として17億円を払うこととなりました。
そのまま同年に着工。それから8年後、悲願の東急新線が開業を迎えることとなるのです。
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幻の神戸市電高架化計画とか