【懐かしの私鉄写真】阪神電鉄の小型車と京都のポール電車

阪神電気鉄道(阪神電鉄)で車両の大型化が進むなか、まだ本線系統でも小型車が活躍していました。撮影に訪れた時には本数はわずかでしたが、それでも快走するシーンが展開していました。同時期には京福電鉄にも訪れています。

この記事の目次

・阪神の小型車撮影は全廃間近なころ
・京福電鉄ではふたつのポール集電方式を採用

【画像枚数】全22枚

阪神の小型車撮影は全廃間近なころ

 今回のテーマである阪神電鉄の小型車と京都のポール電車は、たまたま同じ時期に撮影しただけでこれといった関連性はありません。しいていえば、どちらも関東の人間から見れば珍しい存在であったことは確かです。

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小型車の運用は梅田~西ノ宮間の急行、準急に限定されていた。3両目に組込まれている3扉の831形は、1964年に形式消滅している(武庫川/1964年8月、楠居利彦撮影)。

 阪神電鉄は1954(昭和29)年にデビューした特急用の3011形から車両の大型化が進められ、12年後の1966(昭和41)年3月に小型車が全廃となりました。小型車は全長12~14m級、車体幅約2.3mという路面電車とほぼ同じかやや大きめくらいの寸法で、モーター出力とブレーキ方式の違いから急行系と普通系に分けられていました。

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尼崎を出庫して西宮に向かう回送列車。武庫川を渡り、カーブした築堤を下る所で、手前の線路は上り線から分岐した武庫川線との連絡線。本線の下を潜った左奥に武庫川線のホームがある(武庫川~鳴尾/1964年8月、楠居利彦撮影)。

 私が撮影した1965(昭和40)年10月初めには急行系の851形、861形各5両、881形13両の計23両が残っていて、6連3本が平日朝の急行、準急に、1両は武庫川線で使用されていました。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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