驚愕の「リアル主人公」 撃墜王マックス・インメルマンの短くも鮮烈なる戦歴

インメルマンはインメルマンにしか落とせず…そして伝説へ

 第1次世界大戦におけるパイロットの寿命はせいぜい1か月以内であったにも関わらず、必ず生還し戦果をあげて帰ってくるインメルマンは無敵に思われました。インメルマン以外にインメルマンを落とせるものなど存在しない、世界中がそう信じていました。

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最初の戦闘機フォッカー・アインデッカー。E.IからE.IVまであり、写真はインメルマンが最後に搭乗したE.IIIの同型機。

 そして1916(大正5)年6月18日。このときインメルマンの撃墜数は17機にまで達し世界2位、1位は盟友ベルケ18機であり、その差はわずかに1機でした。インメルマンは1位に並ぶチャンスに遭遇、機銃のトリガーを引きます。ところがアインデッカーのプロペラ同調装置が故障、本来ならプロペラの間隙から発射されるはずの弾丸は自機のプロペラブレードを貫通し、これを引きちぎってしまいます。

 吹き飛んだプロペラブレードは主翼を支える鋼線を切断、機体は空中分解しなす術も無くそのまま墜落、インメルマンは事故死してしまいました。皮肉なことに、インメルマンは最後にインメルマンを撃ち落としてしまったのです。

 インメルマンの戦闘機パイロットとしてのキャリアはわずか10か月。世界初の戦闘機アインデッカーとともに突如、現れ、そしてアインデッカーと共にわずかな期間で消えていった孤高のエースの戦歴は、まるで創作であるかのようです。元祖にして不世出の伝説は、全く関係のない「インメルマンターン」の名と共に不滅であるに違いありません。

【了】

エースの名を冠する航空機動「インメルマンターン」を図解

Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

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