驚愕の「リアル主人公」 撃墜王マックス・インメルマンの短くも鮮烈なる戦歴

戦闘機教習3日目のインメルマン いきなり実戦へ

 少尉のインメルマンはもともとドイツ軍の偵察機パイロットでしたが、後に(犬を除き)最高の親友となる同じ歳のベルケ中尉と出会い、彼からアインデッカー戦闘機の操縦を習い始めます。その翌々日、飛行場が英仏の飛行機に襲撃され爆撃を受けると、インメルマンはベルケとともに出撃しました。

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インメルマンの師にして戦友オズワルト・ベルケ。彼の教え子にはリヒトホーフェン(レッドバロン)など何十人ものエースが名を連ねる(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 ところがベルケ機は機関銃が故障し着陸。インメルマンは単独で敵機へ向かいました。修理し再度、離陸したベルケは新米のインメルマンが死ぬのではないかと予感し急行します。しかしそれは杞憂でした。インメルマンはひとりで敵英軍機を撃墜してしまっていたからです。

 昨日初めてひとりでアインデッカーをよろよろと着陸させられるようになったインメルマンが、今日にも撃墜戦果をあげたことに、ベルケは驚愕しその才能を見抜きます。

 その後インメルマンは頻繁にベルケとともに出撃、そしてインメルマンはついに撃墜数世界一の座に君臨しました。インメルマンとベルケのふたりの撃墜数が8機で並び両者世界1位となったとき、ドイツ軍兵士に与えられる最高位勲章(当時)「プール・ル・メリット」を受勲、ふたりは互いを最高のパイロットであると讃え、喜び合います。

 インメルマンらのアインデッカーは当時、最強の戦闘機でした。なぜなら戦闘機と呼べる世界初の飛行機こそがアインデッカーであったからです。

 アインデッカーがほかの飛行機と異なり、戦闘機たらしめていた所以は、プロペラ回転の隙間から機関銃を発射できる「プロペラ同調装置」を搭載し、追いかけながら射撃する「追撃」が可能であったという一点にありました。

 一方、機体設計は全くの時代遅れで、80馬力のエンジンは当時でも低水準。インメルマンターンのようなアクロバット飛行は不可能であるどころか、強度不足から少し無理な機動をすれば簡単に翼が吹き飛びました。したがってインメルマンの戦い方は、何か特別な空中戦闘機動を得意としていたのではなく、相手を先に発見し(ファーストルック)、先制攻撃し(ファーストシュート)、撃墜する(ファーストキル)という、基本に則った「地味な」ものであったようです。

エースの名を冠する航空機動「インメルマンターン」を図解

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