米軍も認めた「上陸作戦のプロ」旧日本陸軍 なぜ太平洋戦争で崩壊? 空を押さえられた兵站の末路
日本陸軍の上陸作戦能力や海上輸送作戦能力は、1930年代末には、すでに完成の域に達していました。これらの軍事行動を支えていたのが「揚陸作業」です。地味ながら非常に重要、しかし危険な作業の実際とは。
昭和初期の揚陸作業の実態
太平洋戦争中のアメリカ軍は、日本陸軍のことを「船から陸地(Ship to shore)への上陸作戦技術を完全に発展させた最初の国」と、高く評価していました。しかし、上陸作戦は戦闘部隊を敵地に上陸させるだけでは完結しません。戦闘部隊の機能をフルに発揮させるために後方支援部隊を揚陸させ、さらにそれが島であれば、海上輸送によって部隊を維持するための物資を常に送り込まなければならなかったのです。ここでは、日本陸軍が行っていたそれらの作業の実態を見ていきます。
今でこそ、海上流通の主力は大型コンテナ船になっていますが、それ以前はコンテナに収納されていない様々な貨物を積む「バラ積み船(bulk carrier)」が海上流通の中心を担っていました。旧日本陸軍の輸送船として活躍した高速貨物船の「ニューヨーク・ライナー」もこうしたバラ積み船です。
また港湾荷役は、直接岸壁に船を付け、岸壁のクレーンか自船のデリック・クレーンを使用して荷の積み下ろしをする接岸荷役と、港の沖合に船を泊めて、デリック・クレーンなどで艀(はしけ)に荷物を積みかえる沖荷役のふたつがあります(より正確には艀荷役)。
アジアや太平洋の島々は港湾能力が低いか全くなかったことから、それら地域を主戦場にした旧日本陸軍は、この沖荷役をもっぱら揚陸作業の主体としてしました。
そのため、旧日本陸軍は上陸作戦の基本的教範となった『作戦要務令第四部』をもとにして、様々な教範を制定するとともに、いくつかの港湾作業を行うための部隊を編成しています。
代表的なものは、大発などを運用する船舶工兵部隊を集約した「揚陸団」、港湾業務全般を仕切る「停泊場司令部」または「停泊場監部」。港湾作業を行うとともに桟橋や倉庫を仮設する「水上勤務隊」「陸上勤務隊」などです。また、よりローカルな輸送を行う、「海トラ」とよばれた小型貨物船や、漁船を徴傭(ちょうよう、チャーターの意)した「海上輸送監視隊」や「海上輸送隊」も編成されました。これらは地味な部隊でしたが、揚陸作業にはなくてはならない部隊だったのです。
乗りもの?ミサイルの時代に島国に陸上兵力なんてクーデター対策か?
今どきそんなこと言う人がいると思わんかった
輸送船団を護衛する、護衛空母部隊。その戦略的意味すら理解できないまま、太平洋に無数の貨物船を海没させてしまった、陸海軍の上層部。そんな部隊さえも準備できる国力も無いままに、あの対米戦に突入した、無能な海軍軍令部に、陸軍参謀本部。これは、この当時だけの欠陥でしょうか?今、ロシア・中国の脅威が差し迫っている現代こそ、この太平洋戦争時の戦訓を謙虚に見直すべき時ではないでしょうか?