JR標津線が廃止した日 もうひとつの「知床アクセス線」 -1989.4.30

33年前の4月30日、北海道のローカル線・標津線が廃止されました。

根釧台地で半世紀走り抜けた路線

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旧西春別駅に保存されているキハ22形気動車(画像:pixta)。

 今から33年前の1989(平成元)年の4月30日。北海道東部の標茶駅・厚床駅と根室標津駅をむすぶ、JR標津線が廃止されました。国鉄からJR北海道へ引き継がれたわずか2年後のことでした。

 標津線は1937(昭和12)年に全線開通。ルートが2つに分かれており、まずは根室本線の厚床駅から北上して中標津までが開業。そのあと釧網本線の標茶駅から東へ伸びて中標津で合流、根室標津まで開業しています。

 終点の根室標津駅からは阿寒バスが知床半島の観光地・羅臼まで結んでいました。また、釧路を発着する急行「しれとこ」が、標茶から中標津まで乗り入れていました。

 1968(昭和43)年10月のダイヤでは、急行を含めて標茶~根室標津で7往復と区間便、厚床~中標津で6往復が運転されていました。

 国鉄の採算が悪化するにつれ、いわゆる「赤字83線」や、第2次特定地方交通線に指定され、廃止対象に。廃止後はバス転換され、約半世紀の歴史に幕を下ろしました。

 現在、別海町では、厚床駅の隣にあった奥行臼(おくゆきうす)駅の駅施設やホームを文化財に指定し、保存しています。また西春別駅跡には鉄道記念公園が設置され、D51形蒸気機関車やキハ22形気動車などが保存されています。 

【了】

【今も残る奥行臼駅・西春別駅の駅跡】

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