飛行機じゃ無理! 自衛艦の「現金輸送大作戦」 かくて沖縄はドルから円に変わった

航行ルートは極秘、海自屈指の一大輸送作戦

 1972(昭和47)年4月26日午前2時、約500人の警視庁警察官が警戒にあたるなか、東京の日銀本店を、警官と日銀職員を乗せたトラックが出発、約12km先の大井ふ頭で待つ2隻の輸送艦に現金の入ったコンテナを届けました。なお港の周囲は警視庁(陸側)と海上保安庁(海側)の厳戒態勢下に置かれ、艦の船底にも潜水員が潜って不審物や不審人物の有無が徹底的に探索されていました。

 そして翌27日、2隻の輸送艦は大井ふ頭を出港しましたが、沖合に出ても警戒は続きます。東京湾を出ると、露払いとして横須賀から来た3隻の護衛艦が輸送艦の前方に傘型で護衛に着き、上空には千葉県下総基地から飛んできたP2V対潜哨戒機が昼夜交代しながら警戒に就きました。しかも九州の近海に入ると下総基地所属の機体と入れ替わる形で今度は鹿屋基地から同じくP2Vが飛来し、沖縄までやはり直衛に就いています。

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那覇軍港の初代「おおすみ」(手前)と「しれとこ」。手前に見えるコンテナは、現金輸送に備えてバリケード代わりに積まれたもの(画像:沖縄県公文書館)。

 この時の航路は極秘とされ、いまだに明らかにされていません。しかし、話によると民間船舶が近付かないよう一般の航路帯よりも南側をとったそうです。そして、仮に民間船舶や航空機が近付いてきた場合は、護衛艦のレーダーもしくは上空を飛ぶP2Vによっていち早く探知し、大事をとって早めに安全針路に変針するようにしていたとか。ただ行き交う船はほとんどなく、大きな進路変更のないまま南下できたとのことでした。

 こうして6日後の5月2日に沖縄へ着きましたが、大量の現金を荷降ろしするために入港は一般港ではなくアメリカ軍管理の那覇軍港とされ、埠頭はMP(憲兵)と琉球警察(当時)が合計400人態勢で警備に当たりました。ちなみに琉球警察全体では、警察官の総数は約700人であったため、そのうちのかなりの数が動員されたようです。

【右側走ってる!】隊列を組んで走る現金輸送トラック群 写真で見る

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