戦艦「金剛」進水 in イギリス-1912.5.18 老艦ながら俊足活かし奮戦

レイテの本戦は耐えたものの…

 開戦直後1941(昭和16)年12月、「金剛」は南方へ進出。マレー沖海戦でイギリス艦隊と対峙した後、クリスマス島(イギリス領)への艦砲射撃などを行いました。その後、1942(昭和17)年4月のセイロン沖海戦、6月のミッドウェー海戦に参加し、さらに北方作戦の支援へと向かいます。

 10月にはガダルカナル島を巡る一連の戦いで、軽巡洋艦や駆逐艦を率いて同島にあるアメリカ軍のヘンダーソン飛行場を攻撃します。ただ、上述のミッドウェー海戦で旧日本海軍の空母機動部隊が大敗した影響などから、制海権は徐々にアメリカが握るようになっていきます。「金剛」はその後、南太平洋海戦などに参加したものの、大きな戦果を挙げることはありませんでした。

 1944(昭和19)年に入ると、6月のマリアナ沖海戦、10月にはレイテ沖海戦に参加します。ただ、幾多の戦闘に参加してきた「金剛」にとって、これが最後の海戦でした。

 25日朝、「金剛」は戦艦「大和」などと作戦行動中、フィリピン東部のサマール島沖でアメリカの護衛空母群と会敵、砲撃を加えます。特に「金剛」は俊足を生かし、アメリカ軍の駆逐艦が放った魚雷を回避しつつ空母群を追尾、集中砲火を浴びせました。この海戦で日本は、アメリカ軍の護衛空母1隻、駆逐艦2隻を撃沈しています。

 とはいえレイテ沖海戦を通して見た場合、日本は戦艦「武蔵」や空母「瑞鶴」など主力艦艇を多数失い、大敗を喫しました。そのようななか、損傷が比較的軽微だった「金剛」は日本本土への帰投が決定、11月にブルネイを出港します。しかしその途上で、アメリカ軍の潜水艦に発見されてしまいました。潜水艦は魚雷を発射、うち2本が「金剛」に命中します。

 艦齢30年あまり、そして歴戦を重ねた老体に、魚雷は致命傷となりました。しばらく航行は可能でしたが、艦内の浸水は徐々にひどくなっていきます。被雷から約2時間後、「金剛」はとうとう転覆、大爆発を起こし沈没しました。場所は台湾北西部の沖合でした。

 明治期に進水した老齢艦ながら、「金剛」は実に多くの海戦に参加しました。なお日本の戦艦では唯一、潜水艦の攻撃で沈んだ艦でもあります。

【了】

【写真】空襲を回避する「金剛」

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